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2023.12.14

木のコト

②【レポート前編】泉穴師神社に伝わる祭礼「飯之山神事」とだんじり祭り

銘木総研 編集部
銘木総研 編集部

【泉穴師神社・穴師の森プロジェクト】

鎮座から1350年、歴史ある泉穴師神社の境内にあったひときわ大きな御神木が、台風によって根こそぎ倒木しました。この御神木の姿と「穴師の森をさらに後世まで残していきたい」という第四十七代宮司の想いをうけて「穴師の森プロジェクト」が立ち上がりました。
倒木した樹齢600年の御神木と鎮守の森のストーリーを未来へ紡ぐ

不思議なお祭り「飯之山神事」のはじまり

①【泉穴師神社】鎮座から1350年。神社の魅力と御神木 から続く

泉穴師神社の秋祭りで行われる「飯之山(いのやま)神事」。
この神事のはじまりは、1200年以上前の聖武天皇の時代まで遡ります。

社伝によれば
「731(天平3)年に干害の影響で凶作が続き、村人は餓死寸前となっていた。ある時霊夢をみた聖武天皇が、橘諸兄に米を和泉五社に供え、余りを村人に施すように命じた。その米を村人たちは台に盛り、一心に祈りを捧げたところ、たちまち雨が降り出し、飢餓から救われた。そのことに喜んだ村人たちは、毎年秋の米の収穫時期になると、神輿に『飯之山』を盛ってねり回るようになった」
とあります。

この神事は和泉五社で行われていましたが、現在では泉穴師神社でのみ伝統行事として続けられています。そして、明治以降になると、飯之山が「だんじり」という形でねり回るようになります。元々「飯之山神事」と「だんじり祭り」は別の神事でした。しかし、いつの頃からか2つのお祭りが合わさって同日に行われるようになり、現在のようなお祭りの形になったといわれています。

ということで、「飯之山神事」にお邪魔してみました。
今回は、同日に行われる穴師地区のだんじり祭りの見学もさせていただきます!

実際に行ってみた!だんじり祭りレポート(前編)

風のように道路を渡る迫力!豊中町のだんじり

時間は朝の7:30。
JR和泉府中駅に到着しました。「飯之山だんじり」を目指して泉穴師神社へと向かいます。すると、さっそく太鼓の音が。だんじりは、朝6時からすでに周辺を回っているそうです。音が近づいてくるにしたがって空気が震え、だんじりがやってくるぞ…!という感じが伝わってきます。わくわくしてきますね。

やってきたのは、「豊中町のだんじり」。道路を渡っている!すごい迫力…!まるで風のように走っていきます。あまりに素晴らしかったので、ぜひ取材させていただけませんか、と世話人の方にお願いをすると、快く受けてくださいました。豊中町の皆さま、本当にありがとうございます!

まずは、間近で見せてくださるということなので、お言葉に甘えることに。今回、ご案内いただいたのは豊中町の辻川さん。余談ですが、辻川さんのお名前には、なんと「楠(クスノキ)」の漢字が入るとのこと。泉穴師神社の御神木や「自然災害遺産」の大木もクスノキなので、何か運命的なものを感じてしまいました(笑)

「豊中町のだんじり」は、穴師地区にある4つの町(豊中町/池浦町/我孫子/板原町)のだんじりのうちの1つ。今回の目的の1つである「飯之山神事のだんじり」を所有しているのも、実は豊中町なのです。

「豊中町のだんじり」は、豊常陸国の樹齢約350年のケヤキが使用されています。
大工の棟梁である大下孝治氏と、彫物請負3代目の木下健司氏によって平成29年に制作された【三代目木下健司作】と銘打つ初の地車。間近でよく見てみると、確かにお名前が確認できました。

正面土呂幕(どろまく)の彫刻図柄名は『一閃日本號 後藤又兵衛 半田寺山』。この場面は、豊臣秀頼の子の国松を背負った後藤又兵衛(ごとうまたべえ)が天下三名槍の1つの日本号(にほんごう)を持ち、徳川方の武将の大久保彦左衛門(おおくぼひこざえもん)と戦っている場面です。この左の人物が後藤又兵衛。彼がもっている日本号の彫り物は、本物の本漆螺鈿細工を模して輪島の漆職人が再現したものだそうです。

本物のような重厚感を感じます。力強い!

そして、こちらは800年以上の伝統を誇る甲冑刀鍛冶の姫路明珍・52代目当主の明珍宗理氏が特別に鍛えたという匂欄力金。彫物には戦国時代などの甲冑をまとった武将が多くあるため、甲冑師の明珍氏に部品の制作を依頼したのだそうです。

木鼻の目は、ガラス細工になっていて、これも「豊中町だんじり」の特徴だそうです。獅子(ネコ科)が顔を洗う様子を施しています。『猫が顔を洗えば雨が降る』という言い伝えから、先人が雨乞いをした事で飯之山神事が始まった様子を模式化しているのだそう。

このようにだんじりには、町内に伝わる伝統文化や伝説・ことわざの語源となった物語などが、30か所以上散りばめられているのだとか。細部にもこだわっていて、本当に素晴らしかったです。彫り物のすべてが本当に美しくて、感動!だんじりが『動く美術館』と評されるのも納得です。 

続いて、「飯之山だんじり」を見るため、泉穴師神社へ向かいます。

盛られた飯の山!「盛相・物相(もっそ)」飯之山だんじりのひみつ

現在の飯之山神事は、10月の第2日曜日に行われています。
土曜日に宵宮、日曜日に本宮を行い、宵宮には地車の祈祷・移動・炊飯の準備、本宮には炊飯・盛付・飾付をして実際にだんじりを曵いていきます。
本宮の日は、なんと深夜0時から準備を始め、炊飯・盛付や飾付が終わると、だんじりは泉穴師神社に向かいます。夜明け前に神社に到着し、東の鳥居から神社に入ると宮司さんが祝詞をあげます。この祝詞は、神様へ到着したことを伝えるためのもの。それが終わると、「飯之山だんじり」は神社にとどまります。 

時間はAM8:30。
我々も、泉穴師神社の境内に入りました。
すると、さっそく「飯之山だんじり」の姿が。
拝殿の前にどんと構えた存在感…!本当に素晴らしいです。思わず駆け寄ってしまいました。

飯之山神事で担がれるこの「飯之山だんじり」は、通常のだんじりにある大屋根・小屋根の区別が無い「四ツ棟造り」。

また、武者物の彫刻が入ることが多い側面にある土呂幕(どろまく)には、泉穴師神社境内がパノラマ状に彫刻されています。

そして最大の特徴は、なんといっても、炊いた米の山を盛った姿。

まさに、めしの山が乗る一風変わっただんじりで、 地元では親しみを込めて『ごぜんだんじり』と呼ばれています。

普段は四方に御簾が下りているため見ることはできませんが、今回はご厚意で御簾を上げてもらい、中を見せて頂くことになりました。
中には、名前の通りのお米の山!すごい迫力!

かつて、この盛られためしの山は「盛相・物相(もっそ)」と呼ばれていました。こんなにご飯を盛るの?と驚かれた方もいるかもしれませんが、土台として編んだ竹の形にご飯が盛られています。

炊けたばかりの熱々の飯(いい)を盛り付けるときは、白衣を着て榊の葉を咥えるそうです。葉を咥えるのは、飯之山に息がかからないようにするためだとか。
御簾の中には、飯之山と御饌神酒(みけみき)、大鯛一尾を供えるそうです。私たちが見せて頂いた時は、鯛は冷蔵庫にしまっていたのでありませんでした。確かに、外に出したままだと傷んでしまいますからね。

次に装飾を見せていただきます。

側面にある土呂幕右側の部分。
太鼓橋(反橋)と二の鳥居があります。
土呂幕正面。
泉穴師神社の代表ともいえる2つの鳥居。
お掃除している人。
男女2人と犬。

当時の様子が伝わってきますね。古くから人がたくさん訪れ、地域の人に愛されてきた神社だったことがわかります。人物たちが着物を着ているのは、明治26年に作られたから。櫻井芳圀という名匠が制作したもので、ある話では町内の人が「少し値引きしてほしい」とお願いしたところ、「そんなことをいうのなら、持って帰る」と言った逸話も残っているそうです。きっと自信作だったのですね。それもうなずけるほどの美しい彫物です。   

間近でご覧になりたい方は、ぜひお祭りの日に泉穴師神社へ。
境内で「この場所が彫られているのか!」と探してみるのも面白いかもしれませんよ。

神事の伝統を受け継ぐ「飯之山保存会」

飯之山神事は、豊中町全体の行事として行います。
豊中町自治会は、10軒~20軒で構成された隣組が3つ集まって1つの班を作り、6班体制となっています。執り行う際に中心となる「頭家(とや)」は、1班~6班が順に受け持つことが決まっているため、班には6年ごと、隣組は18年ごとに回ってきます。さらに班の中でも受け持つ隣組の順番が決まっており、当番となった隣組の中で話し合い、頭家を決めているのです。

しかし、逆に言えば頭家の役割は18年ごとにしか回ってこないため、隣組の方たちもどうやって準備をするのかを忘れてしまうこともあるそうです。また、伝統の継承が口伝による部分も多いため、伝統をどう引き継いでいくのかという問題にも取り組んでいるのだとか。 お祭りが現代まで存続できたのは、各班もち回りで神事を進め、たくさんの苦労や努力を経験されたからこそなんですね。

ちなみに、豊中町には元々6つの小路があり、現在のような隣組の持ち回りになったのは大正時代といわれています。それまでは、西宮小路と東宮小路(今で言う隣組の様なもの)が専属で交互にもち回ったとされていて、残りの四小路で「豊中町のだんじり」を担当していたのだそうです。ところが、大正10年ごろに豊中町全体で「飯之山だんじり」を持ち回ることとなり、「豊中町だんじり」もそれまでの四小路から町全体で執り行うことに決まったため、豊中町が2台保有することになったそうです。

③【レポート後編】泉穴師神社に伝わる祭礼「飯之山神事」とだんじり祭りへつづく

【泉穴師神社・穴師の森プロジェクト】
~倒木した樹齢600年の御神木と、鎮守の森のストーリーを未来へ紡ぐ~

泉穴師神社へのアクセス

【電車・徒歩の場合】
 南海本線泉大津駅下車、東へ約1.5km、JR和泉府中駅下車、西へ約1km
【車の場合】
 国道26号線、阪和豊中交差点を(堺方面から来た場合)右折、2つ目の信号を左折

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この記事を書いた人

銘木総研 編集部
銘木総研 編集部

地域の人々によって大切に守られ語り継がれてきた「名木と伝承」にフォーカス。伝承とともに人々の生き方に寄り添ってきた名木が持つ史実やいわれを調査研究し、伝統文化・歴史の継承、名木の利活用につながるご提案とその実践を行っています。

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