2024.05.09
木を知る~木々(もくもく)ディクショナリー【ひのき】
Moku Moku Dictionary
[ひのき]ヒノキ / 檜 / 桧
Hinoki cypress / Japanese cypress
門:球果植物門 Pinophyta
綱:マツ綱 Pinopsida
目:マツ目 Pinales
科:ヒノキ科 Cupressaceae
属:ヒノキ属 Chamaecyparis
種:ヒノキ C. obtusa
白い木肌の美しさ香りの良さで 日本人に親しまれている高級木
ヒノキは常緑針葉樹の高木で樹高は20〜30m、大きいものでは高さ50m、直径2.5mになるものもあり、葉は鱗片状で濃緑色、枝に密着して交互に対生する。ヒノキは太平洋側に多く分布し、多雪に弱いが、酸性が強く乾燥した劣悪な土壌には強い。
日本では、色が白く、加工が容易、緻密で狂いが少なく、耐水性や耐朽性に富み、光沢があるヒノキは建材として最高品質とされる。また、日本人好みの強い芳香を永く放つ。
ヒノキ材の建築物には1,000年を超え保存されているものもあり、ヒノキ材の強度は伐採後徐々に増加、300年後に最高強度を示し、1,000年後、伐採時の強度に戻ると言われている。現在、一般家庭でも、特に和式建築物の高級建材・内装材として多く使用されている。
また、ぬくもりのある木肌と芳香が好まれ、ヒノキ材を浴槽にした檜風呂なども作られる。 独特の芳香を持ち抗菌・抗炎症効果が期待されるヒノキチオールが採取できるが、ヒノキから取れる量は微量で、実際には台湾原産のヒノキ科樹木タイワンヒノキ、国産の場合、ヒノキアスナロ(ヒバ)から採取される。
300年後に最高強度。日本の名建築を支えてきた木。
日本書紀には「杉と樟は、船を造るのに良い。槇は棺を造るのに良い。そして檜は宮殿をつくるのに最も適している」と書かれています。
日本人は古来より、木材としての檜の利点に気づいていたようです。法隆寺の昭和大修理や薬師寺西塔の復元を手掛けた宮大工さんも「檜があったから、1300年たった今も法隆寺が残ってるんです。檜がいかに優れた木か、昔の人は知っていたんです」 「宮大工にとって、木といえば檜です」と語っているといいます。
木質が緻密で狂いが少なく、他の樹木より優れた強度・耐久性を持ち、しかも木目が美しいうえ、気高く清々しい芳香を放つ檜。太古より神社仏閣には欠かせない建材とされてきました。
檜という名前の由来は、昔、火が点きやすく火おこしの道具に使われたので「火の木」と呼ばれたという説や、神社の建築材に使われたので「霊(ひ)の木」とされた説、太陽神=最高神・天照大神の神殿を建てたので、最も尊い太陽=日で「日の木」と呼んだ。などなど諸説あります。
「檜舞台に立つ」などの表現に使われる檜舞台とは、江戸時代の歌舞伎に由来し、当時から檜は高価な建築材であり、檜造りが許されるのは幕府公認の舞台だけで、そこに立てるのは一流の役者だったという話が元のようです。
奈良時代の都、平城京の6割は檜で出来ていたといい、世界文化遺産の日本を代表する寺院である法隆寺は、607年(推古15年)に推古天皇と聖徳太子が奈良・斑鳩(いかるが)の里に開いた寺で、世界最古の木造建築。飛鳥時代の木造建築が今も残っていること自体、まさに驚異的です。
その五重塔は、建立から1300年以上。今もなお建ち続けるのを可能にしたのが檜材で、昭和の法隆寺大修理では、全体の65%も1300年前の檜材をそのまま使うことが出来、取り替える必要があったのは、わずか35%でした。この大修理のとき、垂木などの軒を支える檜材は屋根の重みで曲がり、垂れ下がっていましたが、載っていた瓦や屋根土を下ろしたところ、徐々に木が上がり始め、数日後には元の姿に戻ったそうです。
法隆寺西院伽藍には、圧倒的な迫力で五重塔と金堂が並んで建っています。この金堂にある立派な一枚板の扉も飛鳥時代の檜だとか。法隆寺がこれほど長い年月を耐えて残った理由は、やはり檜を使っているからでしょう。修復に携わった名棟梁によれば、古い檜の材の表面をカンナで削ると、なおも檜独特の香りを放ったとか。
総檜造りの家や檜風呂は、人々に心地よい安らぎを与えてくれます。それは森林浴をした時と同じように檜がフィトンチッドを放出し、リラクゼーション効果をもたらしてくれるから。フィトンチッドは高い抗菌性とともに、ストレス解消の効果も期待でき、檜はそのフィトンチッドの含有率が高く、伐採後も発散し続けます。
また、檜に含まれる木の香りは脳の活動と自立神経を鎮静化し、リラックスさせてくれることも分かっており、血圧低下や脈拍を整えたり、快眠など数多くの効果が期待できます。檜の家が家族の健康と安心にとって良いといわれるのもそのためです。
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