メニュー

頼朝杉とは

ABOUT YORITOMO CEDAR

推定樹齢800年 源頼朝公のお手植えと伝わる「頼朝杉」

頼朝杉は推定樹齢800年。かつて源頼朝が挙兵前に「天下治平の大願成就」を祈念して植えたと伝承される名木で、樹高約36メートル・直径約3メートル・目の高さの幹の周囲9.7メートル、国の指定天然記念物の大杉でした。樹高の三分の一ほどが空洞になっていたのが豪雨に耐えかね、2012年2月早朝、根元から南側の急斜面に向かって倒木。いくつもの猛烈な台風の風を耐え、倒木の瞬間を誰にも見せず、まさに千葉山の巨人・武将の最期でした。

伝源頼朝公

源頼朝と言えば、「鎌倉幕府を開いた人物」として有名です。1185年に国ごとに守護をおき、荘園や公領ごとに地頭をおくと、本格的な武士の政権である鎌倉幕府を開いて全国を支配下に置きました(年数は諸説あり)。そして、頼朝は1192年に征夷大将軍に任命されると政治制度を整備しました。この政治体制は江戸まで続いたことを考えると、源頼朝は大きな功績を残したと言えます。

天台宗 千葉山 智満寺

「頼朝杉」は、静岡県島田市の千葉山 智満寺の境内にありました。智満寺は、深山幽谷の境地・千葉山の山中、杉の古木に包まれた1250年もの歴史を誇る天台宗の古刹。源頼朝をはじめ、戦国武将 今川氏、徳川氏から帰依を受け、手厚く保護されました。本尊千手観世音菩薩像や元三大師坐像など数多くの文化財を伝えているほか、「富士の牧狩(巻狩り)」で使用された陣太鼓や御陣釡(戦争で供出)、さらに頼朝夫人の北条政子が愛用していた枕本尊も寄進されており、頼朝との深い縁を残します。

頼朝杉 倒木後の軌跡

倒木

2012(平成24)年9月2日早朝、頼朝杉が地響きを立てながら谷底に向かって滑るように倒れていきました。まるで杉が意志を持っているかのごとく、そばにあった薬師堂をよけ、ケガ人も出ませんでした。国の天然記念物でしたが、倒木後は記念物でなくなってしまいました。

現地調査・搬出

丹念な現地調査ののち、確実で最も安全な方法を選択。現場で大木を分割し、ラジキャリー(自走式搬器)で谷越えすることに。その大きさ故に搬出完了まで約1カ月を要しました。

祈禱

搬出の前、智満寺の住職 北川教裕さんは祈禱時に「私の仏像を造りなさい」と木が言っているように感じられたそうです。そこで、頼朝杉を使って未来像といわれる弥勒菩薩像を制作することになりました。

智満寺の弥勒菩薩像完成

倒木から3年後の2015(平成27)年7月、京都平安佛所の江里康慧(えりこうけい)仏師の手による弥勒菩薩像が完成。人々の心の拠り所として、今も智満寺に鎮座されています。

住職コメント

千葉山智満寺 住職

北川 教裕

きたがわ きょうゆう

2012年に倒木した頼朝杉が、この度「源頼朝公像」となったことを嬉しく思います。改めて、心を動かす頼朝杉の不思議な力を感じ、感慨深く思っております。頼朝杉は樹命を全うしましたが、新たに神仏となり皆さまをお守りしてくださることでしょう。