PROJECTプロジェクト

名木伝承データベース

各地域には多くの名木があります。1本1本の名木に着目し、その「いわれ」や「伝承」を残していくことは、自然保護や民俗学の観点から重要と考えます。そこで「名木伝承データベース」を立ち上げました。それぞれの名木の「いわれ」や「伝承」を主な情報として閲覧いただけるサイトです。2021年11月1日「名木伝承の日」に合わせてオープンいたしました。皆様からも、お近くの名木情報をお寄せいただきたいと思います。準備が整い次第、皆様からの名木伝承情報を募りますので、今しばらくお待ちください。

岩神権現杉 画像
岩神権現杉

権現様が降臨した大木

岩神権現杉いわがみごんげんすぎ

巌神権現のクロベのすぐ横に聳え立つ見事な一本スギです。かつて修験者がこの木に権現様を見たのち、この地に留まり修行を続けたといわれています。以来村人は、この木を権現杉と呼ぶようになったようです。 1971年、道路工事による伐採の危機に瀕しましたが、住民らの強い反対により守られた地域の大切な信仰対象です。 均整のとれた根張り、逞しく伸びる主幹、手入れの届いた立派なしめ縄、日本の御神木におけるお手本とも言えそうな素晴らしい一本です。

名木伝承データベース No.1

住所:山形県最上郡大蔵村赤松

写真提供/取材協力:萩原哲平様
高瀬の大木 画像
高瀬の大木

神指城跡の大ケヤキ

高瀬の大木たかせのたいぼく

会津藩主であった上杉景勝が築営をしていた神指城跡の土塁上にある大ケヤキです。築城を開始した慶長5年時には、既に大木として知られていたとされ、この木の樹齢の長さを物語っています。神指城は、徳川家康の会津征伐により竣工にいたらず、慶長6年には景勝が米沢へ移封となったため、完成を待たずして破却されましたが、ケヤキは伐採されることなく、その後も残り続けました。昭和24年の台風で大枝を失う被害にあい、主幹の分岐点から亀裂が生じている他、内部の空洞化により衰弱が懸念されていますが、その風格は今もなお健在です。

名木伝承データベース No.2

住所:福島県会津若松市神指町大字高瀬

写真提供/取材協力:萩原哲平様
耳の神様のトチ 画像
耳の神様のトチ

耳を治した奇跡

耳の神様のトチみみのかみさまのとち

会津の奥座敷と言われる熱塩温泉街の入り口に立つ1本のトチノキであり、別名ツンポの神様とも呼ばれ地域で親しまれてきました。 ツンポとは方言で耳の聞こえない人の事を指し、大きな空洞を抱えたトチが耳に似ていることから神様として祀ったとされています。かつて耳が不自由だった女性が毎日手を合わせたところ、耳が聞こえるようになったという逸話も残っています。 茶碗を横から見ると耳の形と似ているということで、茶碗に穴を開けて、樹洞の中へ奉納するという風習が今もなお続いています。これは、耳の通りをよくするという意味となぞらえているようです。

名木伝承データベース No.3

住所:福島県喜多方市熱塩加納町熱塩北平田347

写真提供/取材協力:萩原哲平様
法龍寺のイチョウ 画像
法龍寺のイチョウ

覚如上人お手植えのイチョウ

法龍寺のイチョウほうりゅうじのいちょう

県下最大の名木が、法龍寺にあります。この法隆寺には、お手植え伝説のある木が2本あり、そのうちの1つがこの大イチョウです。如信上人の十三回忌の法要を執り行った際、本願寺第三世の覚如上人によって植えられたものであると伝わっています。この地は、如信上人終焉の場所といわれており、如信の墓もあります。江戸時代には、領内を巡視していた徳川光圀も訪れ、この地にお堂を建立し、「法龍寺」の寺号を与えたともいわれています。真っ直ぐに立ち上がる複数の幹は根元部分で完全に融合しており、視界を塞いでしまうほどの太さを誇ります。枝の欠損が多少見られるものの、それをものともしないイチョウの生命力が感じられる見事な一本です。

名木伝承データベース No.4

住所:茨城県久慈郡大子町上金沢1684

写真提供/取材協力:萩原哲平様
長勝院旗桜 画像
長勝院旗桜

世界にひとつだけの桜

長勝院旗桜ちょうしょういんはたざくら

ヤマザクラの一種で、日本櫻学会が発行する「櫻の科学」の平成10年(1998)9月号に「世界に一本だけの新種」と掲載されました。花は大きく、一重咲きの花にオシベの一部が、旗を立てたように見えています(これを「旗弁(きべん)」と言います)。花によっては2枚くらい付くものもあり、この旗弁を見つける楽しみもあるハタザクラです。この貴重な旗桜を絶やさないために、市内10か所程度に植樹されているようです。

名木伝承データベース No.5

住所:埼玉県志木市柏町3丁目11-13

指定:志木市指定天然記念物・志木市指定保存樹木
樹齢:推定400年以上
樹高:11.2m 
幹周:3.05m
頼朝桜 画像
頼朝桜

源頼朝の再起を記念して植栽

頼朝桜よりともざくら

石橋山の戦いに敗れた源頼朝は、真鶴(まなづる・神奈川県)から船で脱出し、千葉県安房郡鋸南町(きょなんまち)に、家臣の土肥実平(どいさねひら)と二人で治承4年(1180)に上陸しました。そして頼朝は、同年10月7日に鋸南町で再起して鎌倉入りを果たしたのです。そのことを記念し、頼朝が挙兵した鋸南町では、平成13年(2001)に静岡県河津町から「河津桜」の原木を譲り受け、「頼朝桜」と名付けて毎年「頼朝桜まつり」を開催しています。

名木伝承データベース No.6

住所:千葉県安房郡鋸南町大崩39

本数:約15,000本
備考:毎年「頼朝桜まつり」を開催
羽衣の松 画像
羽衣の松

美しい天女と平常将伝説

羽衣の松はごろものまつ

この松に羽衣をかけて「千葉(せんよう)の蓮の花」が咲き誇るのを見入った天女。そのすきに羽衣を奪い、自分の妻としたのが土地の豪族、平常将(たいらのつねまさ)です。伝説によれば、常将と天女の間に儲けたのが常長(つねなが)であると言われています。天女と松に関する伝説は各地にあり、たいていは泳ぎに来て羽衣を奪われ、共に暮らしますが、最後は羽衣を取り返して天に帰る、というのがほとんどです。天女が花に見とれて妻になって、子まで成すというのはとても珍しい。できれば、そのへんの様子を見ていたこの松に、聞いてみたいものですね。

名木伝承データベース No.7

住所:千葉県千葉市中央区市場町1-1

備考:なし
森戸神社の千貫松 画像
森戸神社の千貫松

頼朝も認めた価値ある松

森戸神社の千貫松もりとじんじゃのせんがんまつ

毎年、海水浴客でにぎわう森戸海岸の近くにある森戸神社。その神社の裏手、海岸に突き出た岩の上に「千貫松」という松があります。この名前の由来は、源頼朝が衣笠城に向かう途中、森戸の浜で休憩した際、岩の上の松を見て「いかにも珍しき松」と感心したところ、出迎えた和田義盛(わだよしもり)は「我等はこれを千貫の値ありとて千貫松と呼びて候」と答えたと言われています。今の価値で一貫が約10~15万円ですから、千貫は約1億~1億5000万といったところでしょう。

名木伝承データベース No.8

住所:神奈川県三浦郡葉山町堀内1025

備考:なし
政子の安産杉 画像
政子の安産杉

源頼朝が政子の安産を祈願

政子の安産杉まさこのあんざんすぎ

箱根神社は皇祖三神、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)、木花咲耶姫命(コノハナサクヤヒメノミコト)、彦火火出見尊(ヒコホホデミノミコト)をお祀りしていますが、この名木は古代祭祀の象徴たる 神籬(ひもろぎ )として崇めてきたもので、健全な母胎の象徴であり、子孫繁栄を祈る名木です。源頼朝は、この木に政子の安産を祈願して、實朝(さねとも・三代将軍)が無事誕生しました。こうしたことから、今日でも「政子の安産杉」として親しまれ、信仰されています。

名木伝承データベース No.9

住所:神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1

樹齢:推定1,000年
樹高:40m
幹周:19.31m
土肥の大椙 画像
土肥の大椙

源頼朝主従が隠れた名木

土肥の大椙といのおおすぎ

治承4年(1180)、石橋山の合戦に敗れた源頼朝が、大杉の伏木(ふしき)の空洞に隠れた場所と言われています。平家方の大庭景親(おおばかげちか)の命により梶原景時(かじわらかげとき)は、伏木の中をうかがい頼朝と目が合いましたが、助けようと決意し、蜘蛛の糸を鎧に付けて「誰もいない」と他の者の探索を許しませんでした。後に景時は、頼朝の家来になったと言います。大正6年(1917)の暴風雨で、頼朝主従が隠れたこの大杉は倒木してしまいました。

名木伝承データベース No.10

住所:神奈川県足柄下郡湯河原町鍛冶屋

備考:現地に「土肥の大椙跡の碑」あり
写真/文章:玉木造
影向寺の乳イチョウ 画像
影向寺の乳イチョウ

乳がよく出る不思議な名木

影向寺の乳イチョウようこうじのちちいちょう

今は昔、言い伝えによると乳が出ないので困った母子が、池に身を投げしようとしたところ、不思議な光が現れました。その後をついて行くと、このイチョウの前に着き、「乳柱(ちはしら)を削って汁を飲め」とのお告げがあり、その通りにすると乳がよく出るようになりました。乳柱とは、枝や幹から垂れ下がる円錐状の突起のことです。この木は川崎市内最古のお寺、影向寺にあり、本堂の屋根よりはるかに高くそびえ立っています。

名木伝承データベース No.11

住所:神奈川県川崎市宮前区野川本町3丁目4-4

樹齢:推定600年
樹高:28m
幹周:8m
写真/文章:玉木造
王禅寺柿の原木 画像
王禅寺柿の原木

日本で最初の甘柿と言われる

王禅寺柿の原木おうぜんじかきのげんぼく

等海(とうかい)上人が王禅寺の山中で、見たこともないような赤い柿がなっているのを見つけ、一口食べてみると非常に甘くて美味しかったのです。そこで上人は、この柿の枝を折って村人に接木(つぎき)をさせて栽培を広めると、瞬く間に「王禅寺丸柿」としてよく売れましたが、そのうちに「王」が取れて「禅寺丸柿」と呼ぶようになりました。王禅寺にある日本で最初の甘柿の原木は、そのひこばえが成長したものです。

名木伝承データベース No.12

住所:神奈川県川崎市麻生区王禅寺940

樹齢:推定450年
樹高:6m 
幹周:2m
写真/文章:玉木造
山高神代桜 画像
山高神代桜

神の時代から生きる名木

山高神代桜やまたかじんだいさくら

福島県の三春滝桜・ 岐阜県の淡墨桜と並ぶ 日本三大巨桜の1つであり、推定樹齢は1800年~2000年ともいわれています。日本最古にして最大級、種は長寿で知られるエドヒガンザクラ。桜では初の国指定天然記念物で、おそらく、日本で最も多くの春を数えた桜といえるでしょう。東国遠征で立ち寄った記念に、ヤマトタケルノミコトが手植えしたと伝えられており、この伝説が名前の由来となっているのだとか。まさに神々の時代の桜であり、この名が相応しい桜は、他にはないように思われます。また、日蓮聖人がこの木の衰えを見て回復を祈り再生したという伝説から、「妙法桜」の名でも呼ばれています。今から70年前に「3年以内に枯死」と宣告されましたが、神代桜の生命力と地元住民や樹木医、沢山の人の協力が今に繋がり、春には大枝いっぱいに花をつけています。 また2008年には、全国各地の花の種と共に山高神代桜の種がスペースシャトルで飛び立ち、約8ヶ月間の間、無重力の空間を旅しました。種はその後、2粒だけが発芽し、そのうちの一粒が實相寺境内に植えられました。現在では花を咲かせるほどに成長しています。

名木伝承データベース No.13

住所:山梨県北杜市武川町山高2763

写真提供/取材協力:萩原哲平様
神明神社のムクの木 画像
神明神社のムクの木

人々の命を守る助命壇の名木

神明神社のムクの木しんめいじんじゃのむくのき

このムクの木は、神明神社の境内にあり、人々の命を守る助命壇の目印としての役割があります。 助命壇とは洪水の時に住民が避難した場所で、別名「命塚」と呼ばれ、高台になっている場所のことです。 かつて助命壇には大きな木が植えられるのが一般的となっていて、この名木もその内の1つなのです。 以前、境内には杉やイチョウの大木も茂っていましたが、現在大木といえるのは、このムクの木のみとなりました。 水害が起こればムクの木に集合、神明神社に行けば助かる、という思いは、輪之内町の人々にとって、心の支えになっていたのでしょう。 水害が少なくなって、目印としての役目がなくなるのはいいことでしょうが、これからも町の守り神として、人々を見守っていてほしいですね。

名木伝承データベース No.14

住所:岐阜県安八郡輪之内町四郷

樹齢:推定500年
樹高:15m
幹周:5m
羽衣の松 画像
羽衣の松

天女と漁師の伝説

羽衣の松はごろものまつ

沿岸約5kmにわたり松林が続く三保松原にある名木で、特に能や歌舞伎舞踏の演目で有名な羽衣伝説にゆかりがあります。名前も「羽衣の松」といい、現在この地にあるのは3代目となりますが、伝説と共に、今もなお地元の人に愛されています。この羽衣伝説は、天女と漁師の出会いを描いています。三保にいた伯良という漁師が、松の枝にかかっている美しい衣を見つけて持ち帰ろうとしたところ、天女が現れ、羽衣を返してほしいと懇願しますが、伯良はそれを拒否。「返してほしければ、天上の舞を舞いなさい」と要求し、それを承諾した天女が、羽衣をまとって舞いながら、富士の山に沿って天へと帰っていった、と言い伝えられています。能演目の「羽衣」には、天女が舞を舞い始めると、地上の風景も天上界のように美しくなり、地上には数々の宝が降る場面もあります。この松は、海上から飛来する神様の目印となっており、降り立った神様は「神の道」を通って、御穂神社へと向かうのだとか。神も訪れるこの地に、ぜひ皆さんもお越しください。

名木伝承データベース No.15

住所:静岡県静岡市清水区三保

備考:なし
頼朝杉 画像
頼朝杉

源頼朝が大願成就を祝して植えたと言われる

頼朝杉よりともすぎ

頼朝杉は推定樹齢約800年、高さは約30メートルもあったといわれています。 平治の乱で敗れ、伊豆に流罪となった頼朝公が千葉山智満寺に参籠した際に、源氏の再興を誓って自ら手植えしたと伝えられています。 2012年9月2日倒木しました。

名木伝承データベース No.16

住所:静岡県島田市千葉 智満寺境内

指定:国指定天然記念物
樹齢:推定800〜1,200年
備考:自然倒木により、現存せず。
狩宿の下馬桜 画像
狩宿の下馬桜

富士の巻狩りで源頼朝が馬から降りた場所

狩宿の下馬桜かりやどのげばざくら

建久4年(1193)に、富士の巻狩りで源頼朝が馬から降りた場所にある「狩宿の下馬桜」。近くに頼朝が宿泊した建物もあります。余談ですが、その巻狩の最中に曽我兄弟が親の仇である工藤祐経(くどうすけつね)を、討ち果たしました。 また、江戸幕府第15代征夷大将軍、徳川慶喜がこの桜について詠んだ歌「あわれその 駒のみならず見る人の 心をつなぐ山桜かな」があります。日本五大桜の一つです。

名木伝承データベース No.17

住所:静岡県富士宮市狩宿98-1

指定:国指定天然記念物
樹齢:推定800年
樹高:35m  
幹周:8.5m
来宮神社の大樟 画像
来宮神社の大樟

白髪の老翁に守られたご神木

来宮神社の大樟きのみやじんじゃのおおくす

木の周りを1周すると寿命が1年延びる、願い事が叶うと言われています。昔は大楠が7株ありましたが、嘉永年間(1848~53)に、大網事件という漁業権を巡る争動が起こり、訴訟費等の捻出のため5株を伐採したそうです。そのとき、この木も伐ろうとしたところ、白髪の老翁が現れ、キコリの持つ大鋸(のこぎり)を二つに折ってどこかへ消えたという伝承があります。それ以来、神木として崇めるようになったと言われています。

名木伝承データベース No.18

住所:静岡県熱海市西山町43-1

指定:国指定天然記念物
樹齢:推定2000年
樹高:20m 
幹周:24m
写真/文章:玉木造
三嶋大社の楠 画像
三嶋大社の楠

三島七木、最後の一本

三嶋大社の楠みしまたいしゃのくすのき

三嶋大社総門の西側、神池の脇に御神木が立っていて、根元には祠もあります。江戸時代、箱根の関所を通る際、三島の名勝「三島七木(みしまななぼく)」を暗誦できれば、手形がなくても三島の人である証明になり、通行を許されたと言われています。七本とは、 間眠(まどろみ)神社の松、法華寺の松、石(おしゃもじ)神社の松、陣屋のケヤキ、道満塚(どうまんづか)の松、晴明塚(せいめいづか)の松、そして、この三嶋大社の楠です。残念ながら七本のうち現存しているのは、この楠だけということです。

名木伝承データベース No.19

住所:静岡県三島市大宮町2丁目1

樹高:16m 
幹周:7m
写真/文章:玉木造
三島神社の橘 画像
三島神社の橘

千鶴丸、無念の名木

三島神社の橘みしまじんじゃのたちばな

頼朝と八重姫の間の子、千鶴丸にまつわる話。八重姫の父、伊東祐親(いとうすけちか)は、この子のことを平清盛に知られては一大事と、八重姫から千鶴丸を奪い、家来に命じて川に沈めました。そのとき家来はせめてもの慰めにと、火牟須比神社(ほむすびじんじゃ)の神木である橘の小枝を二本折って、千鶴丸の幼い両手に握らせたのです。やがて川を下り海へ出て、この富戸の海岸に流れ着いた千鶴丸の遺体の両手には、しっかりと橘の枝が握られていました。その二本の枝をこの地に挿したところ、見事に根付き三島神社の橘になったと言われています。現在は何代目かの橘です。

名木伝承データベース No.20

住所:静岡県伊東市富戸686

写真/文章:玉木造
火牟須比神社の橘 画像
火牟須比神社の橘

幼い千鶴丸に握らせた名木の枝

火牟須比神社の橘ほむすびじんじゃのたちばな

源頼朝と伊東の領主、伊東祐親(いとうすけちか)の娘、八重姫との間に生まれた千鶴丸を、祐親が平家を恐れて、川に沈めたと言われています。川に向かう途中、千鶴丸をあやすために、この神社の橘の枝を千鶴丸の手に握らせました。千鶴丸の遺骸は富戸へ流れ着き、握りしめていた橘の枝が根付いて、三島神社の橘になったと言われています。この二つの神社の橘は「おとどい(兄弟)の橘」と名付けられました。

名木伝承データベース No.21

住所:静岡県伊東市鎌田751

写真/文章:玉木造
音無神社の椎の木 画像
音無神社の椎の木

頼朝と八重姫逢瀬の名木

音無神社の椎の木おとなしじんじゃのしいのき

音無神社は源頼朝と伊東祐親(いとうすけちか)の娘、八重姫が密かに逢っていた場所と言われています。神社内には、常緑広葉樹の高木である、このすだ椎(スダジイ)のほかに椋の木(ムクノキ)、伊東市指定文化財の椨(タブ)の木があり、「音無の森(おとなしのもり)」としてひっそりとした社を形成しています。伊東市内には、他にもすだ椎の巨木が神社や寺の森に多く見受けられます。

名木伝承データベース No.22

住所:静岡県伊東市音無町1-13

指定:伊東市指定天然記念物
樹高:25m 
幹周:6.25m
写真/文章:玉木造
三嶋大社の金木犀 画像
三嶋大社の金木犀

二度咲きの甘い芳香が広がる

三嶋大社の金木犀みしまじんじゃのきんもくせい

「三嶋大社の金木犀」は、毎年9月上旬と下旬に2度満開を迎えます。薄い黄色の可憐な花をつけ、甘い芳香が特徴です。この金木犀(きんもくせい)は1回目の花が散った後に、2回目の花を開かせる「二度咲き」の木として知られています。満開時には神社付近はもちろん、二里先までその芳香が届いたとの逸話もあります。そしてその時期に「木犀の夕」が催され、舞楽・筝曲が奏されるのです。周囲では原木の新芽を苗木とした後継樹も育成しています。

名木伝承データベース No.23

住所:静岡県三島市大宮町2-1-5

指定:国指定天然記念物
樹齢:推定1200年
樹高:15m 
幹周:4m
村上社の楠 画像
村上社の楠

航行する船の目印

村上社の楠むらかみしゃのくすのき

ここには元、八幡神社があったようですが、楠の成長の妨げになるとして、八幡神社の方がここから移ったようです。昔は家がほとんどなかったのか、この楠が渡船場にやってくる船の大事な目印になっていたと言います。また、この地に祀られている村上天皇は、他に任せるのではなく、天皇自らが政治を行う「天暦の治」で知られ、歌人としても評価が高く、琴や琵琶などにも精通し、平安文化を開花させた人物として知られています。

名木伝承データベース No.24

住所:愛知県名古屋市南区楠町17

指定:名古屋市天然記念物
樹齢:推定450年
樹高:20m
幹周:10.8m 
根周:13.2m 
枝張り:東西22m 南北:20m
長太の大樟 画像
長太の大樟

有志により守られてきた大樟

長太の大樟なごのおおくす

近鉄名古屋線の長太ノ浦駅からおよそ1kmの位置にある巨大なクスノキで、辺りは水田に囲まれており、クスとしては珍しい完全な独立木となっています。また、昔はこの木の近くに、延喜式内社の大木神社があったともいわれ、実際に延喜式九・十巻には「鈴鹿郡十九座」に、この神社と思われる名前が記載されています。遮蔽物の無い環境にあることから、あらゆる危険に晒されてきたこの名木は、一見均整の取れた樹形に見えますが、1959年の伊勢湾台風を始めとし、幾度も襲い来る暴風により多くの枝を失っています。また、周囲の土壌整備により十分な水分を得られず、葉がほとんど枯れ落ちてしまったこともあるといいます。そんな中、2004年に地元のおおくす保存会が発足し、樹木医と協力し樹勢回復に努めてきました。有志により守られた大樟は最大の危機を脱したように見えます。訪れた人々の記憶にだけでなく、いつまでもこの地にそびえるシンボルであってほしいと願います。

名木伝承データベース No.25

住所:三重県鈴鹿市南長太町

写真提供/取材協力:萩原哲平様
地蔵大松 画像
地蔵大松

地蔵を埋めた目印に

地蔵大松じぞうだいまつ

この名木は、地蔵にまつわるある言い伝えから名づけられたものだそうです。古代、物部氏が滅びた後、宗教信仰を巡って対立していた蘇我氏は、仏教以外の礼拝を厳重に禁止しました。そのため、地蔵菩薩を信仰礼拝していた当地周辺の人々は、礼拝していた石像の地蔵菩薩をそばの堀に沈め、ひそかにこの場所を後世に伝えるための目印として、小さい松の木を植えたのだそうです。亨保17年(1732)の夏、干ばつで稲作が打撃を受けたとき、地蔵大松の近くの湿地を掘ると、地蔵菩薩が出土されたので、享和2年(1802)8月、大松のすぐそばに地蔵堂を建立し、お祀りしたものが現在に至る、と説明版に書かれています。

名木伝承データベース No.26

住所:三重県鈴鹿市南玉垣町5536ー1

指定:三重県指定天然記念物
樹高:20m 
幹周:6.7m 
枝張り:東西32m・南北26m
菅山寺のケヤキ 画像
菅山寺のケヤキ

菅原道真公お手植えの1本

菅山寺のケヤキかんざんじのけやき

呉枯ノ峰(くれこのみね)という山に1200年余りの歴史を持つ古刹、菅山寺があり、その山門の両脇に菅原道真公の御手植えと伝わる2本のケヤキがあります。2本とも、寺院とともに長い時間を過ごしてきましたが、向かって右側の個体は、2017年に倒木し、現在は根元部分を残すのみです。倒木の理由は、腐食や強風によるものとされています。 この寺は、菅原道真公ゆかりの寺で、6歳から11歳までで勉学に励んだ場所です。寺伝では、余呉湖畔に住んでいた桐畑太夫が余呉湖で水浴びをしていた美しい天女を見初め夫婦となり、その子どもとして生まれたのが道真である、と伝えられています。 現存しているもう一方のケヤキは、樹齢は1000年を越えるといわれています。宇多天皇の勅使として入山した44歳の時に、道真公が2本のケヤキと1株の梅を植えたと伝わっていますが、梅は現存しておらず、前述の通り、もう1本のケヤキも倒木してしまったため、道真公ゆかりの木は残り1本となっています。しかし、残された一方は、倒れたもう一方の分まで役目を背負うように、ひっそりとたたずみ、来訪者を歓迎しています。

名木伝承データベース No.27

住所:滋賀県長浜市余呉町坂口

写真提供/取材協力:萩原哲平様
柏原の野大神 画像
柏原の野大神

滋賀県最大の大ケヤキ

柏原の野大神かしはらののだいじん

「柏原の野大神」は、国道365号線沿いに立ち、すぐ後ろに神社があるので「八幡神社のケヤキ」とも呼ばれています。「野神」とは五穀豊穣の神であり、この柏原の野大神の前で、毎年8月に野神祭が行われます。木の脇に「野大神」の石柱が立ち、幹のかなり高い所に立てられた御幣が、神木であることを表しています。人の目線で見て目立つのは木のコブで、これにはそばを流れる高時川(たかときがわ)が氾濫しそうになったとき、枝を切ってせき止めたという伝説があります。その名残りがこの木のコブで、大ケヤキはまさに高月町の守護神なのです。

名木伝承データベース No.28

住所:滋賀県長浜市高月町

指定:滋賀県指定自然記念物
樹齢:推定500年以上
樹高:22m 
幹周:8.4m
小野葛籠尻町のカヤ 画像
小野葛籠尻町のカヤ

小野小町、百夜通いの伝説

小野葛籠尻町のカヤおのつづらじりちょうのかや

小野小町に恋いこがれる深草少将。小町は自分のことをあきらめさせるために「私のもとへ百夜通ったなら、あなたの思い通りになりましょう」と約束します。そうして遠い道のりを雨の日も風の日も通い続けましたが、最後の百夜目にして深草少将は、雪の中で息絶えるのです。小町はカヤの実を糸に綴ってその日を数えていましたが、少将を気の毒に思い、たまった九十九個のカヤの実を周辺に播きました。その中の一つが成長して「小野葛籠尻町のカヤ」になったと言われています。

名木伝承データベース No.29

住所:京都府京都市山科区小野葛籠尻町

指定:京都市指定保存樹
樹高:25m 
幹周:6.25m
西浦の小町のカヤ 画像
西浦の小町のカヤ

深草少将、百夜通いのカヤ

西浦の小町のカヤにしうらのこまちのかや

平安時代、深草少将が小野小町のもとに百夜通うことを誓ったという、「百夜(ももよ)通い伝説」のカヤ。小町は自分のことをあきらめさせるために「私のもとへ百夜通ったなら、あなたの思い通りになりましょう」と約束します。小野小町はカヤの実を糸につづって、その日を数えていましたが、最後の一夜を前に少将が世を去ったので、菩提を弔うために、そのカヤの実を、小野の里に播いたと伝えられています。そのうちの一本が、このカヤの木なのです。

名木伝承データベース No.30

住所:京都市山科区小野西浦2

樹齢:推定900年
樹高:15m 
根周:9.2m
後白河上皇御手植の樟 画像
後白河上皇御手植の樟

神仏が姿を現す「影向の樟」

後白河上皇御手植の樟ごしらかわじょうこうおてうえのくす

京都市東山区の新熊野神社にあり、名前の通り、後白河法皇が植えたクスノキだと伝えられています。別名「影向(ようごう)の大樟」とも呼ばれており、この「影向」とは、神仏が姿を現す、という意味があります。さらにこの木は、延びた樟の巨枝が、空を飛んでいる龍のように見えることから、龍に乗った弁財天、樟龍弁財天として信仰されてきたようです。古木でありながらも、樹勢は今でも極めて旺盛で、市街地に植えられた中では、飛び抜けて巨樹だそうで、現在も成長し続けており、「健康長寿」「病魔退散」を願う人や、特に「お腹の神様」として、ご利益を求める人が後を絶たないそうです。

名木伝承データベース No.31

住所:京都市東山区今熊野椥ノ森町42

指定:京都市指定天然記念物
樹齢:900年
樹高:21.9m
幹周:6.58m
枝張り:東西23.5m・南北35m
大楠公手植えの楠 画像
大楠公手植えの楠

楠木正成の戦勝祈願

大楠公手植えの楠だいなんこうてうえのくす

石清水八幡宮の境内西側、戦国時代に織田信長が奉納した土塀(信長塀)の後ろに、参路に覆いかぶさるようにある巨木です。江戸時代の『洛陽名所集』には「戦勝軍利を祈り、楠千本を八幡山にうへけり」とあり、楠木正成公が建武元年(1334)、必勝祈願参拝の折に、八幡山に植えた楠の中の一本と言われています。この場所、男山には同じような推定樹齢600〜700年と言われる楠の大木が、他にも数本あります。

名木伝承データベース No.32

住所:京都府八幡市八幡高坊30

指定:京都府指定天然記念物
樹齢:推定700年
樹高:30m 
幹周:18m
千本釈迦堂のおかめ桜 画像
千本釈迦堂のおかめ桜

おかめ伝説発祥の地

千本釈迦堂のおかめ桜せんぼんしゃかどうのおかめざくら

千本釈迦堂 大報恩寺は、京都市内(京洛)最古の国宝建築物であり、おかめ発祥の地でもあります。実は、千本釈迦堂の開創・義空は、奥州平泉の藤原秀衡の孫という伝承もあります。この枝垂桜が「おかめ桜」というのは、伝承「おかめさん」に由来しているようです。本堂創建の際大工の夫が柱の一本を短く切ってしまい、妻のおかめさんが名案をだして助けました。ところが、女の入れ知恵だと世間に洩れ、夫の名声に傷がつくのはまずいと、自害したのだとか。悲話の主人公であるおかめの物語が伝わる、全国のおかめ信仰の発祥となっています。

名木伝承データベース No.33

住所:京都府京都市上京区七本松通今出川上ル

備考:なし
浄福寺のクロガネモチ 画像
浄福寺のクロガネモチ

今も受け継がれる天狗伝説

浄福寺のクロガネモチじょうふくじのくろがねもち

京都府の浄福寺の境内にあり、木の中央部分には大きな空洞がありますが、葉は青々と生い茂っています。樹皮で栄養を運んでいるのでしょう。この木は、地域の人々から災難除けの信仰を受けており、そば近くのお堂には「護法大権現」として天狗が祀られています。その昔、天明8年(1788)に京都で大火事があった際には、鞍馬の天狗がこの木に降り立ち、団扇であおいで大火災の火を消したという伝説があります。 この木の樹齢は300年と言われており、江戸時代から大きくなりました。 義経の頃に有名だった鞍馬の天狗の伝説は、江戸時代にもしっかりと残っており、今も脈々と受け継がれているようです。

名木伝承データベース No.34

住所:京都府京都市上京区笹屋町2丁目601

指定:京都市上京区区民誇りの木
樹齢:300年
樹高:9.0m
幹周:3.95m
枝張:12.1m
待賢門院桜 画像
待賢門院桜

待賢門院ゆかりの桜

待賢門院桜たいけんもんいんざくら

法金剛院は極楽浄土を模した庭園が見事な律宗の寺院。庭園を彩るのは待賢門院桜という名の枝垂れ桜の変種です。その名も待賢門院桜。 待賢門院は、藤原璋子(たまこ)とも呼ばれ、絶世の美人だったようです。彼女は、中宮で鳥羽帝に輿入れし、後に崇徳天皇と後白河天皇(のち法皇)を産みました。ところが、養父である白河院(鳥羽帝の祖父)と待賢門院は関係があったという疑惑があったこともあり、長男の崇徳天皇は、どうも白河天皇との子ではないか、と噂されます。後に彼女の子ども2人は争うこととなるのですが、その戦いがあの有名な保元の乱なのです。皇后・得子との争い等、権力争いの中でドロドロになった待賢門院が、法金剛院で落飾し、その3年後に亡くなるのは、真相は不明ですが、重い精神負担のせいだったのかもしれません。この桜が待賢門院の名前にちなんで呼ばれているのは、そうした彼女の悲しみを、少しでも癒してほしいという人々の願いからなのかもしませんね。

名木伝承データベース No.35

住所:京都府京都市右京区花園扇野町49

備考:なし
新日吉神宮のスダジイ 画像
新日吉神宮のスダジイ

「樹下」に隠された想い

新日吉神宮のスダジイいまひえじんぐうのすだじい

江戸時代以前から現存していたと言われている名木です。 新日吉(いまひえ)神宮は、永暦元年(1160年)後白河法皇がその御所・法住寺(ほうじゅうじ)内に比叡山坂本の日吉山王七社(日吉大社)を勧請したことが始まりです。 江戸時代、徳川家と敵対した太閤秀吉を祀ることは禁止されていました。 しかし、密かに太閤さんを信奉する都の人々が集っていて、その場所が新日吉神宮であり、象徴がこのスタジイなのです。 本殿の裏側すぐ近くにある樹下社(豊国神社)が、彼らが集まった場所と言われています。 なぜ、樹下社というかというと、このスタジイの樹下だから、と言われていますが、それは表向きで,、樹下社の名前の裏の意味は、太閤さんが木下藤吉郎と呼ばれていたことに由来します。 「きのした」なので少し文字を変えて「樹下」の社ということなのです。 そうして、秀吉を信仰した人々は、皆、スタジイを目印に集り、この木の下で太閤さんの偉業をはなしあったのかもしれません。

名木伝承データベース No.36

住所:京都府京都市東山区妙法院前側町451-1

指定:京都市指定保存樹
幹周:4m以上
知恩院のムクロジ 画像
知恩院のムクロジ

参道沿いから人々を見守る

知恩院のムクロジちおんいんのむくろじ

知恩院の参道沿いにあり、たくさんの仲間の木とともに、参拝者の方を見守っています。説明板によると、分布北限に近い京都で、このような大木になることは稀なのだそうです。このムクロジと知恩院の歴史的な謂れは色々と調べてみましたが、正直良く分からない部分も多いです。ただ、知恩院は浄土宗の総本山であり、この宗派の徳川家の庇護を受けた名寺です。開祖法然の庵からが起源ですが、徳川家はこの寺院を二条城とともに朝廷をけん制するための場所としたようです。ムクロジは無患子と書き、「子が病(やまい)にかからないように」という願いが込められた木名です。江戸時代期の子どもは病気になりやすいこともあり、将軍家でも跡継は大きな問題でした。子の健康を願うと同時に、果実は石鹸代わりに、種は羽根つきの玉や数珠に使える等、庶民的で有用だからこそ、この木は法然上人が理想とした仏の下に平等な世界の象徴とされたのかもしれません。

名木伝承データベース No.37

住所:京都府京都市東山区林下町400

指定:京都市指定天然記念物
樹齢:約400年
樹高:20m
幹周:4.13m
青蓮院のクスノキ 画像
青蓮院のクスノキ

青蓮院の5本の名木

青蓮院のクスノキしょうれんいん

京都市東山区の青蓮院にあります。青蓮院の築地に4本、境内の庭園に1本の計5本が生育しています。 「青蓮院のクスノキ」の5本の内、樹高は最大のもので26.1mに達し、いずれも幹から大枝を伸ばしており、樹勢も良好です。 12世紀末に親鸞聖人に植えられたとも伝えられていますが、生育の様子から、青蓮院が現地に移転した12世紀以降に植樹されたものとみられています。

名木伝承データベース No.38

住所:京都府京都市東山区粟田口三条坊町

樹高:最大26.1m
鶯塚のムクの木 画像
鶯塚のムクの木

神木は知る、娘とウグイスの物語

鶯塚のムクの木うぐいすづかのむくのき

昔、大阪の長柄(ながら)に裕福な長者がおりました。長者には、気だてのやさしい娘がいましたが、体が弱く、娘は病気で外に行くこともできません。友達と言えば飼っているウグイス一羽きり。朝晩ウグイスに語りかけるのが、娘の楽しみだったのです。やがて、娘の病気は重くなり、ついには死んでしまいました。するとウグイスも次の日、ひと声大きく鳴いて、後を追うように死にました。長者はかわいそうに思い、ウグイスを娘といっしょに埋めました。それが今も残る「鶯塚」です。今ではさまざまな人が、このムクの神木と鶯塚を訪れてベンチで休憩したり、遊んだりしています。生前、友達もなかった長者の娘ですが、今はきっと寂しくないでしょうね。

名木伝承データベース No.39

住所:大阪府大阪市北区長柄東2丁目7

備考:なし
龍王大神 画像
龍王大神

道の真ん中に鎮座する大銀杏

龍王大神りゅううおうおおかみ

昔、高野山真言宗 佳木山 太融寺の境内にあった名木で、道路の拡張工事の為、伐採しようとしたところ次々に人が亡くなる等の不幸が続き伐採工事を中止したといういわれがあります。また、その昔、火事を止めたという伝説もあります。現在は、道路の真ん中に鎮座していて、道行く人たちを見守っています。

名木伝承データベース No.40

住所:大阪府大阪市北区西天満4丁目3

備考:なし
榎木大明神 画像
榎木大明神

住宅街に佇む楠木正成のお手植え名木

榎木大明神えのきだいみょうじん

地元の人達に「エノキさん」「巳さん」と親しみ呼ばれています。樹齢は650年と言われており、楠木正成が手植えしたという説もあります。 豊臣時代にはこのあたりも大阪城域であり、かつて、紀州熊野参りとお伊勢参りの街道筋で、とても大きいこの樹は目印となっていました。 また、地元の人達は土地神として「白蛇大明神」の祠を建てて、代々この樹を守ってきたようです。 昭和20年(1945)の第二次世界大戦の大空襲の折には、襲ってきた炎がこの樹のあたりでぴたりと止まり、東側一帯はもらい火を免れました。 これも霊験のひとつとして語り伝えられており、毎年春のお彼岸前後には、地元「箔美会」の人達により、榎木大明神の大祭が行われています。 昭和63年(1988)、この樹が枯死寸前となった際には、大阪市と「箔美会」からの依頼を受けた山野忠彦樹医が適切な延命治療を行い、再び元気になりました。 そして現在、樹勢は極めて盛んとなり、地元で生誕され直木賞で有名な直木三十五の文学碑とともに、都心のオアシスとなっています。

名木伝承データベース No.41

住所:大阪府大阪市中央区安堂寺町2丁目3

樹齢:推定650年
渡辺綱駒つなぎの楠 画像
渡辺綱駒つなぎの楠

剣豪が通い、馬をつないだ名木

渡辺綱駒つなぎの楠わたなべのつなこまつなぎのくす

この周辺はかつて善源寺荘と呼ばれ、大江山の鬼退治で有名な源頼光が支配する荘園でした。長徳年間(995~998)、頼光は源氏の八幡大神を祀り、産土(うぶすな)神社を創建して、頼光自らがこの樟を植えたと言われています。「駒つなぎ」の名は頼光の四天王の一人で、荘園の管理をまかされていた渡辺綱が、いつも馬をこの樟につないだからと伝えられています。昭和になって大阪府の天然記念物第1号に指定されましたが、戦災に遭い現在は枯死(こし)状態になっています。

名木伝承データベース No.42

住所:大阪府大阪市都島区善源寺町1丁目11-26

指定:大阪府指定天然記念物
樹齢:推定900年
樹高:20m 
幹周:10m
備考:戦災により現在は枯死状態
阿遅速雄神社のクス 画像
阿遅速雄神社のクス

草薙剣にまつわる地

阿遅速雄神社のクスあちはやをじんじゃのくす

この名木は、名前の通り、阿遅速雄神社の境内にあります。 大正時代に落雷に遭ったようで、主幹部分は枯れてしまったのですが、支幹部分は樹木医の懸命な治療で健在です。 一見名前を見ると、「阿遅速雄」という方を祀っているようですが、実際は、阿遅鉏高日子根神(あぢすきたかひこね)という摂津に降臨し、農業を授けた神を祀っている神社のようです。 この神社の始まりは、天智天皇7年(668年)に起こった3種の神器の1つ、草薙剣の盗難事件に由来します。道行という僧が名古屋の熱田神宮から草薙剣を盗み、新羅に向かって逃げたというもので、大阪湾に辿り着く前に嵐に会い、神罰だと恐れた道行は、途中の河口に剣を放り投げたのだそう。その後、草薙剣は無事村人に拾われ、この神社に一時的に納められた後、返還されたのだそう。このクスは推定樹齢1000年なので、源平合戦時には大きくなっているはずです。この地に一時保存され、返還されたはずの草薙剣が、壇之浦の合戦で失われたと知った時は悲しんだかもしれません。

名木伝承データベース No.43

住所:大阪府大阪市鶴見区放出東3丁目31-18

指定:大阪府指定天然記念物
樹齢:1000年
樹高:約16m
幹囲:約6m
松虫塚の榎 画像
松虫塚の榎

人の心を魅了する虫の音色

松虫塚の榎まつむしづかのえのき

江戸時代初期の書物『芦分船(あしわけぶね)』には、後鳥羽上皇に仕えた松虫という官女の墓であると書かれています。彼女は法然上人の説法を聴いて感銘を受け、念仏修業を志し上皇に無断で出家しました。上皇は怒り、法然を土佐に流して松虫も追放したのです。のちに彼女はここ阿倍野に住んで、念仏三昧の生涯を終えたと言われていますが、京都の安楽寺に彼女の墓がありますので、おそらく阿倍野の松虫の音があまりに素晴らしいので、同じ名前の京の松虫の話を持ってきたというところでしょう。この「松虫塚」は、道路の改修にあたって撤去させられるところを、地元の人々の反対にあい、昭和55年(1980)に美しく整備して、樹齢800年余と言われる榎とともに今も健在です。

名木伝承データベース No.44

住所:大阪府大阪市阿倍野区松虫通1丁目11

樹齢:800年余
備考:なし
JR下淀川鉄橋橋際延命地蔵尊 画像
JR下淀川鉄橋橋際延命地蔵尊

死神転じて地蔵菩薩に

JR下淀川鉄橋橋際延命地蔵尊JRしたよどがわてっきょうはしきわえんめいじぞうそん

明治時代の淀川改修工事の頃。この塚本の土手あたりに大きな柳の木がありました。その木で首つり自死する人が出たのをきっかけに、線路に飛び込んだり、川に身投げする人が相次ぎました。周辺の住民は協議の結果、これは何か死神のようなものの仕業ではないかということになり、まず雰囲気を変えようと、うっそうとした雑木や雑草を刈っていくと、柳の大木の根元に大きな蛇が巻きついていたのです。「そうか、この巳さんの祟りに違いない」と、村の古老たちが僧侶を呼んで祈祷してもらい、柳を切り倒しました。そして、その幹を使って彫りだしたのが、今の「延命地蔵尊」で、人々の苦悩をやわらげ、その罪を消して寿命を延ばしてくれる地蔵です。首くくりの柳が転じて、人の命を助けるお地蔵さんになったという珍しいお話です。

名木伝承データベース No.45

住所:大阪府大阪市淀川区塚本1丁目15-9

備考:なし
八王子神社の御旅所の楠 画像
八王子神社の御旅所の楠

大洪水で命を救った名木

八王子神社の御旅所の楠はちおうじじんじゃのおたびしょのくす

名前の通り、八王子神社の御旅所にあり、境内にこの大きな楠があることから、この地は「楠神社」と呼ばれています。 また、この木の近くには、玉楠大明神とかかれた鳥居もあり、奥にはお社もあります。八王子の地名は、8人の牛頭天王の子(王の子なので王子)という仏教伝承によるものだそうです。この牛頭天王と八王子は疫病退散に効く神様とされています。 この御旅所から北北西に700mの位置には、八王子神社もあります。 特に大阪城の東側は、淀川の氾濫等で疫病が多くなっていたそうなので、周囲の村人たちの疫病退散祈願があったのかもしれません。 実際に、明治18年6月に淀川が氾濫してこの付近が大洪水になった際には、この楠の大枝にこの地域の住民が3日間避難し、命が助かったという話が語り伝えられているようです。 ちなみに、大阪冬の陣でこの辺りに攻め入ってきた上杉景勝軍は、八劔神社に布陣しました。もしかするとこの名木は、その時の戦の様子や戦死する人達もたくさん見てきたのかもしれないですね。

名木伝承データベース No.46

住所:大阪府大阪市東成区大今里1丁目17−108

指定:大阪市保存樹
樹齢:1300年
住吉大社の千年楠 画像
住吉大社の千年楠

商業の発達を見守ってきた

住吉大社の千年楠すみよしたいしゃのせんねんくす

堂々たる楠です。住吉大社自体が太古の昔から海運・川運の神様としてこの場所にあるようです。「住吉」も、元の名前はここから若干西側にある「住之江」と読みが同じだったのだそうです。「吉」の字はもと「え」と読んだことから「住吉(すみのえ)」といいます。更にこの地名は「澄みの江」から来ているようで、この辺りは穏やかで澄んだ入江の海岸だったようです。一方、クスノキは虫害や腐敗に強く丸木舟をはじめ、舟の建造材に多用されていました。大阪湾沿いの古墳からも、クスノキの大木を連結した複雑な機構を持つ舟も何艘も出土しているようですし、「古事記」に出てくる「枯野(からぬ)」という高速船の逸話は有名です。ですので、大阪にクスノキの大木が多いのは、このような舟との繋がりが古くから強い土地だったことも関係したのかもしれません。この千年楠も、舟製造に使われた大楠のDNAを継いでいる楠なのでしょう。千年もの間、大阪湾海上や、大和川に浮かぶクスノキ材の舟の行き来を見てきた千年楠。それは同時に大阪商業発達の歴史を見てきたといえるのではないでしょうか。

名木伝承データベース No.47

住所:大阪府大阪市住吉区住吉2丁目9-89

樹齢:1000年
樹高:18. 5m
幹囲:9.8m
住吉大社の夫婦楠 画像
住吉大社の夫婦楠

夫婦円満の象徴

住吉大社の夫婦楠すみよしたいしゃのめおとくす

こちらも、千年楠と同様に、海運や大和川等を活用した川運の手段として使われる舟、その建築資材に多用されたクスノキの末裔の1本と考えられます。 2つの幹に分かれたこの楠は、夫婦円満の象徴として親しまれています。 実はこの辺り、頼朝の女性関係と縁が深いです。しかも、薩摩の島津家の創始者をその女性がここで産んだという伝説です。 頼朝の乳母に比企尼(ひきあま)という方がおりまして、その娘に丹後内侍(たんごないし)という、美人で歌の上手い女性がいました。 丹後内侍は、頼朝が伊豆に流されている頃からの従者・安達盛長(あだち もりなが)の妻となります。ただし、彼女は初婚ではなく、初婚は惟宗広言(これむね の ひろこと)という歌人でした。 彼女は彼との間に、惟宗(島津)忠久という嫡男を産むのですが、広言の子供ではなく、頼朝と通じていたことにより生まれたという説があります。そして、この忠久が薩摩・島津家の祖という伝承です。 実は彼女は、島津家の伝承によれば、頼朝の子ということで、嫉妬の政子に殺されそうになったのを義時らの手助けで、住吉まで逃げてきます。 そして、住吉大社の反り橋付近で産気づき、忠久を出産します。 夫婦杉の樹齢も800年とされています。もしかすると、このエピソードと何か関連がある名木なのかもしれませんね。

名木伝承データベース No.48

住所:大阪府大阪市住吉区住吉2丁目9-89

備考:なし
あびこ観音のクス 画像
あびこ観音のクス

歴史的出来事の目撃者

あびこ観音のクスあびこかんのんのくす

あびこ観音は、1400年前に聖徳太子により建立された最古の観音霊場です。そこには、大きなクスの木が立っており、それがこの「あびこ観音のクス」なのです。実はこの楠、大阪で非常に重要な出来事を目撃しています。それは、大坂夏の陣です。大坂夏の陣とは、徳川方が冬の陣の和議の条件に反して、大坂城内堀を埋めたため豊臣方が兵を挙げ、徳川家康らに攻め落とされた戦いです。結果的には、徳川側が勝利しますが、実はこの時、家康はかなり危険な状況に追い込まれているのです。大阪夏の陣は、豊臣方は徳川軍の半分にも満たず、また大阪城は丸裸に近い状態でした。そのため、籠城戦ではとうてい勝機はないと、打って出る豊臣方の武者が多かったのです。真田幸村もその一人ですが、彼は家康の首一つを狙い、的確な情報確保と迅速な動きで、家康を追い詰めます。天王寺茶臼山から逃げ回る家康は、一度は切腹を覚悟したほど追い詰められたのだとか。そして、ここ「あびこ観音」にも、真田幸村に追われた徳川家康は逃げ込み、本堂の須弥壇に隠れ、難を逃れたと言われています。つまりこの楠は、幸村から逃れる家康の目撃者なのです。このお話から、お寺の観音様やこの楠は、「厄除の霊験」と「開運、諸願成就などのご利益」があるといわれています。

名木伝承データベース No.49

住所:大阪府大阪市住吉区我孫子4丁目1-20

樹齢:800年
薫蓋樟 画像
薫蓋樟

左近衛少将千種有文の歌にちなんだ巨木

薫蓋樟くんがいしょう

江戸時代後期の公家である左近衛少将千種有文の「薫蓋樟 村雨の雨やどりせし唐土の 松におとらぬ樟ぞこのくす」という歌から名づけられました。この名木は、大阪府門真市の三島神社の境内にあります。地にどっしり根を下ろし、大空に向かって高くそびえるその姿から、門真市の「市の木」に選定されています。また、国指定天然記念物の1つでもあり、集落の中でこれほどの巨樹が生育しているのは非常に珍しいのだそうです。幹の中は空洞になっていますが、樹勢は旺盛で、四方に大きく枝を広げており、大昔には、付近の家や道路にまで覆い被っていたそうです。この名木からチラリと奥を覗くと、小さな赤い鳥居と境内社が見えます。古くには、根元に四斗樽の酒をまく風習もあったそうです。実は、大正時代に、この地に電灯を導入しようとして、枝を切り払おうとしたことがあるのですが、切った人間が腹痛を起こしてできなかったという言い伝えがあります。

名木伝承データベース No.50

住所:大阪府門真市三ツ島1丁目15-20 三島神社 境内

指定:国指定天然記念物・門真市の「市の木」
樹齢:1000年
樹高:約24m
幹周:13.1m
矢作神社の大銀杏 画像
矢作神社の大銀杏

母たちの信仰を集めた木

矢作神社の大銀杏やはぎじんじゃのだいぎんなん

矢作神社の境内にあり、Y字型に開いたこの大銀杏はとても立派です。この木の他にも、幾つかクスノキの大木があり、この場所が肥沃な土地だったことがわかります。このイチョウの乳房状の垂下物の薄皮を剥ぎ煎じて用いると、乳房の病を治し、乳汁を豊かにする、と言い伝えられています。このように、乳の出が良くなる銀杏の伝説は、全国至る所にありますが、ここのイチョウは、本当に肥沃な土地にありますので、もし飲めたら、本当に乳の出がよくなりそうです。銀杏は気根状突起(乳根)を生じるものがあり、チチイチョウと重宝され、古来安産や子育ての信仰対象とされてきました。 この乳根、不思議なことに、内部は材では無くて柔らかい細胞からできていて、たくさんのデンプンが貯蔵されているそうです。 乳がでない母親が母乳代わりに赤ん坊に飲ませたというのも、あながち伝承だけではないのかもしれません。このイチョウの図柄は、八尾市が豊かな土地であることの象徴として、八尾市文化会館大ホールの緞帳(どんちょう)に採用されているそうです。

名木伝承データベース No.51

住所:大阪府八尾市南本町6丁目6-72

樹齢:推定600年
善光寺の大クス 画像
善光寺の大クス

本田善光ゆかりの名木

善光寺の大クスぜんこうじのおおくす

善光寺のクスは、その名の通り、善光寺の境内にあります。「善光寺」というお寺は、日本各地にありますが、今回ご紹介する名木がある善光寺は、八尾市にあります。そして、この八尾市の善光寺は、長野県にある信濃の善光寺と深い関わりがあるお寺です。 信濃の善光寺の御本尊は、天竺(インド)で作られ、百済(韓国)へ渡り、そして日本の欽明天皇のところにやって来たものです。当時、欽明天皇は、この仏像を拝むべきかどうか、蘇我氏と物部氏に相談しました。 崇仏派の蘇我稲目(そがのいなめ)と廃仏派の物部尾輿(もののべのおこし)はこの時対立します。結局、拝むべきという結論となり、稲目は蘇我の屋敷に持ち帰り、お堂を建てることになりましたが、その後、全国に疫病が流行します。それみたことかと尾輿が、蘇我氏の屋敷を焼討にし、この御本尊を難波の堀へ投げ込んでしまいました。しかし、その数年後、本田善光(よしみつ)という信濃(飯田市)の人が、この堀を通りかかると、「善光、善光…」と言って、御本尊がこの人の前に堀の水から飛び出してきました。善光は、信濃国国司の従者として都に上っていたので、そのご本尊を信濃に持ち帰り、そこに祀ることにしました。ここまでが信濃の善光寺縁起の概要なのですが、実は八尾市の善光寺は、善光が信濃に帰る途中に、この八尾の地に一泊したのが縁で、翌年再度この地を訪れて寺を建立したことから始まると伝えられています。実は、この「善光寺」の「善光」という文字は、どちらのお寺も彼の名前が由来となっているのです。そして、本田善光が信濃に帰ってから再びこの地に来た時、ついてきた杖をここに突きさして大きくなったものが、境内にあるこの大クスなのだとか。ずっと昔から、人々の歴史を眺めてきた大楠。お寺自体が少し高い場所にあるので、暮らしや文化の移り変わりをみていくには、最適の場所だったのかもしれません。この木の表面に触れて、是非歴史パワーを貰ってください。

名木伝承データベース No.52

住所:大阪府八尾市垣内4丁目41

備考:なし
百舌鳥のくす 画像
百舌鳥のくす

雨乞いの霊木

百舌鳥のくすもずのくす

大阪府指定天然記念物であり、近くには、御廟表塚古墳や堺市指定保存樹林の筒井邸屋敷林があります。 この地が開墾された江戸時代のはじめ頃から、雨乞いの効験あらたかな霊木として祀られてきたようです。

名木伝承データベース No.53

住所:大阪府堺市北区中百舌鳥町4丁535

指定:大阪府指定天然記念物
樹齢:800~1000年の間
樹高:13m
胸高径:2.7m
幹周:10.1m
百舌鳥八幡宮のくす 画像
百舌鳥八幡宮のくす

永久を願った神社の御神木

百舌鳥八幡宮のくすもずはちまんぐうのくす

大阪府指定天然記念物となっており、神社正面の階段を登ると、空を覆うように枝を伸ばす大木が、こちらをお出迎えしてくれます。名前の通り、百舌鳥八幡宮の御神木として祭られており、樹勢は極めて旺盛です。「百舌鳥のくす」とよく似た名前ですが、違う名木です。この名木がある「百舌鳥八幡宮」は、欽明天皇の時代に、天下泰平民万人を守ろうとの御誓願を立てた神功皇后を祀り、万代(もず)と名づけて神社を創建したことが始まりとされています。「百舌鳥八幡宮」は、1158年、石清水八幡宮の別宮となり、公武庶民に崇拝されていましたが、大阪夏の陣の兵火や災禍により、荒廃します。しかしその後も、地方信仰の中心とされ、重んぜられました。

名木伝承データベース No.54

住所:大阪府堺市北区百舌鳥赤畑町5丁706番地

指定:大阪府指定天然記念物
樹高:25m
幹周5.2m
胸高径:1.8m
葛葉稲荷の千枝の楠 画像
葛葉稲荷の千枝の楠

安倍晴明の母狐、葛の葉姫の物語

葛葉稲荷の千枝の楠くずのはいなりのちえのくすのき

「信田森神社(葛葉稲荷神社)(しのだもり くずのはいなりじんじゃ)」の創建は和銅元年(708)。清少納言も『枕草子』の中で「森は信田の森」と記すほど、日本の森の代表格のような扱いです。神社の由緒では、枝が四方に大きく広がっている様を、花山上皇(968〜1008)が見て「千枝(知恵)の楠」と名付けたとあります。また、この神社に伝わる白狐「葛の葉姫」の伝説が、古浄瑠璃の「信田妻」となり、歌舞伎や文楽の「蘆屋道満大内鑑」となりました。「恋しくは 訪ねきてみよ 和泉なる 信太の森の うらみ葛の葉」という歌を、狐らしい仕草で障子に書く場面が見せ場となっています。後に陰陽師、安倍晴明となる子供との別れの場面です。お話の内容は、それぞれの演目や伝説によって異なりますが、その舞台となるのは決まって、ここ「信田森神社(葛葉稲荷神社)」なのです。

名木伝承データベース No.55

住所:大阪府和泉市葛の葉町1-11-47

樹高:21m 
幹周:11m
義経腰かけの松 画像
義経腰かけの松

平敦盛の首実検をした巨木

義経腰かけの松よしつねこしかけのまつ

源義経は元暦元年(1184)、一ノ谷の戦いで、熊谷直実(くまがいなおざね)が討ち取った平敦盛(たいらのあつもり)の首を、この松の木の手前にある池で洗い、木に腰を掛けて首実検をしたという伝承があります。そのため「首実検の松」とも呼ばれています。 床が石でできた屋根付きの建屋の中に、倒木した大きな枯れた幹部が置かれていて、現地でその姿を見ることができます。

名木伝承データベース No.56

住所:兵庫県神戸市須磨区須磨寺町4丁目6-8

備考:倒木した姿を見学できる
木の根橋 画像
木の根橋

根が伸びて川をまたぐ

木の根橋きのねばし

すぐそばを流れる奥村川(幅約6メートル)を、根がまたぐように伸びた古木です。枝を手でさわると枯れてしまうので、お気をつけください。この大ケヤキの樹勢回復のための保護と治療をきっかけとして、昭和63年(1988)に「巨木を語ろう全国フォーラム」の第1回大会がこの旧柏原町で開催されました。また、この木の前に織田神社があり、柏原町は織田家の城下町としても知られています。くわしくは、下記YouTubeをごらんください。

名木伝承データベース No.57

住所:兵庫県丹波市柏原町柏原5-1

指定:兵庫県指定天然記念物
樹齢:推定1000年以上
樹高:25m 
幹の直径:6m
月刊「こだまっこvol.2」に特集あり。アマゾンで検索を
YouTube:「根が川をまたぐ 木の根橋」
https://www.youtube.com/watch?v=83anSnNBwRc
日置のハダカガヤ 画像
日置のハダカガヤ

武運長久を願った尊氏ゆかりの名木

日置のハダカガヤひおきのはだかがや

このハダカガヤは、非常に珍しい木だそうで、普通のカヤの実の場合は、固い殻に覆われていますが、この種類は、殻が無く渋皮のみです。またこの名木の不思議なところは、種子をまいても、普通のカヤになってしまうところです。そのような木は、世界中でもこの1本しかないのだとか。 伝承では、足利尊氏が天皇方に敗れ、都から九州へ逃げのびる途中にこの地に立ち寄り、 殻をむいたカヤの実を神前に捧げて武運長久を祈ったものとされています。 実は、この地を含め、足利尊氏と丹波国は深い関係にあり、尊氏は大きな戦の体制立て直しに使っていたようです。理由としては、尊氏の母・清子が上杉家から足利家に嫁いで来たのですが、その上杉家の本貫地がこのあたりにあったため、尊氏を応援する豪族等も多かったことがあげられているようです。そして、このハダカガヤの実を撒いた後の尊氏は、湊川の戦いで楠木正成・新田義貞を破り、京を制圧し、室町幕府の開府までこぎつけます。 この尊氏の苦境から一転大勝利への徴候となった「日置の裸カヤ」。 世界中でもこの1本しかない貴重な樹木として、国の天然記念物に指定されています。

名木伝承データベース No.58

住所:兵庫県丹波篠山市日置166

指定:国指定天然記念物
六本柳 画像
六本柳

鬼退治成功を願って植えた杖が成長

六本柳ろっぽんやなぎ

この名木は、源頼光の鬼退治に由来する名木です。 平安時代の中期、京では姫君を中心に行方不明者続出という不可解な事件が多発していました。 時の帝である一条天皇は、これを憂慮し、安倍晴明に占わせます。 すると「丹波の大江山に住む鬼・酒呑童子の仕業である」という結果が出たのです。 そこで帝は勇者として名高い源頼光に征伐を命じます。 勅命を受けた源頼光は、頼光四天王である渡辺綱、坂田金時、卜部季武、碓井貞光らと山伏の姿に変装し、丹波へ向かうことになります。 その途中、八幡大菩薩へ必勝祈願をし、「首尾良く鬼退治ができましたら、この金剛杖が芽を出し、六本の柳が育ちますように。」と、この地に手にもつ柳製の金剛杖を挿しました。 その杖が成長したものが、この六本柳です。「六本柳」という名前は後に、上記のエピソードに由来して名付けられました。 この後、挿した杖の近くに酒がなみなみと入った瓢箪が置いてあることに気づいた頼光が、それを持って大江山に向かいます。 そしてそこで「美酒を持ってきたので、一緒に飲みかわしながら、今夜一晩語り合おうじゃありませんか。」と鬼たちを誘います。 そのお酒は「神変奇特酒」というもので、実は、人間には単なる美酒なのですが、別名「鬼殺し(神便鬼毒酒)」という鬼にとっては毒でした。 酒が回った酒呑童子たちは立ち上がることができず、頼光たちはすきを見て、鬼どもの首をみごとに討ち取りました。 当時の六本柳は枯れてしまっており、現在のものは、かなり後の時代になって植え替えられたものだそうです。 それでもこのような勇壮な伝承を持つ柳の次代の木に、伝承のロマンを感じます。

名木伝承データベース No.59

住所:兵庫県丹波篠山市上宿

備考:なし
多田神社のムクロジ 画像
多田神社のムクロジ

清和源氏発祥の地にそびえる巨木

多田神社のムクロジただじんじゃのむくろじ

多田神社にあるこのムクロジは、苔むした庭園の一角に堂々と根元を張っています。 兵庫県で最大のムクロジとされており、兵庫県の郷土記念物に指定されています。 また、この場所は、清和源氏発祥の地として歴史的に重要な場所です。 摂津源氏の根源はこの多田神社で、清和源氏の流れをくむ足利尊氏や徳川家康等も源氏の霊廟とし、幕府で保護したのだそうです。 また、神社の中には「鬼首洗池」があり、大江山で鬼退治をした頼光が、この池で鬼の首領、酒呑童子の首を洗ったと伝えられています。 このムクロジは一説には樹齢1000年ともいわれているので、もしかするとその現場を目撃しているかもしれませんね。

名木伝承データベース No.60

住所:兵庫県川西市多田院多田所町1

指定:兵庫県郷土記念物
樹齢:推定1000年
楠霊神社のクスノキ 画像
楠霊神社のクスノキ

不思議な力で人々を守り続けた

楠霊神社のクスノキなんれいじんじゃのくすのき

名前の通り、クスノキがご神木の神社の中の名木です。 この地に追剥が出没していたので、それを防ぐための結界として、楠が祀られたといった伝承があります。 また、武庫川が洪水した際には、この楠に登って難をのがれたという話があったり、空襲時には、生い茂っている葉が爆弾を退けたという話も残っています。 現在も、このクスノキから落ちた葉は、厄除けとして地元の人に知られているそうです。現在、この地は、人々の憩いの場となっています。

名木伝承データベース No.61

住所:兵庫県尼崎市武庫川町4丁目23

備考:なし
妙勝寺の大くすの木 画像
妙勝寺の大くすの木

「妙に勝つ」から大逆転

妙勝寺の大くすの木みょうしょうじのおおくすのき

妙勝寺の大くすの木は、兵庫県の淡路市にあります。 この妙勝寺は、足利尊氏の伝説で有名なお寺で、楠木正成と新田義貞に敗れて京を追われた尊氏が、九州に落ちのびる途中に立ち寄った場所なのだそうです。 後醍醐天皇側近の北畠顕家に追い詰められ、摂津の国(兵庫県)に逃げた尊氏は、京奪回を狙っていましたが、背後から新田義貞の軍も襲い掛かってきたため、六甲山を更に南下。 あとは瀬戸内海海上しか逃げるところがない状況に追い詰められます。 万事休すな尊氏でしたが、沖で風待ちのため船を泊めていた際に、山の上に燈灯を見つけます。 気になったので何かと尋ねてみると、「妙勝寺」というお寺だと説明されました。 このお寺の「妙に勝つ」というキーワードが「軍勝利を得るべき前兆である」として大層気に入った尊氏は、太刀一振を寺に奉納し、必勝を祈願しました。 すると尊氏の軍は、その後100日足らずで形勢逆転。 九州から戻ってきた尊氏は、湊川に上陸して楠木正成の軍で破り、その後京を制圧すると、室町幕府の礎を築きました。 ちなみにこのくすの木の樹形は、1336年、当寺に参詣した足利尊氏の家来が、樟(クスノキ)を楠木正成として切りつけたため、このような形になったとも言われています。 「妙に勝つ寺」にあやかったこの名木から、パワーをもらってはいかがでしょうか。

名木伝承データベース No.62

住所:兵庫県淡路市釜口1163

備考:なし
薬師之大楠 画像
薬師之大楠

静御前終焉伝説の地にある大楠

薬師之大楠やくしのおおくす

志筑別神社の境内にあり、「薬師之大楠」とも呼ばれています。 この木の存在から、志筑別神社は別名「楠木神社」と呼ばれていたそうです。 名前の由来は、祭神の「少彦名命」と「薬師如来」からきています。 それぞれ「少彦名命」は万民の病難を救う霊力があることから、また、この本地仏が、薬師如来であるからとされています。 上記の名前がつく前は、志筑神社の「上のクスノキ」に対し「下のクスノキ」と呼ばれていたようです。 またこの地には、源義経の愛妾「静御前」の終焉伝説があります。 伝承によると、静御前は鎌倉で義経との子を殺された後、命を助けられ、頼朝の妹の夫、一条能保に預けられました。 そして、一条家の荘園があった志筑の地に隠れ住んだのです。 1211年の冬に47歳で没すると、供養塔が建てられたました。 源義経との恋に生きた静御前の墓は日本各地に存在しますが、それだけ、彼女が愛されていたからかもしれません。 また、その想いはこの地にも受け継がれており、もう一方の志筑神社の「上のクスノキ」は、2017年に「静之大楠」と称されることになったのだとか。 800年生きたと言われている「薬師之大楠」と「静之大楠」は、これからも人々に愛され続けるでしょう。

名木伝承データベース No.63

住所:兵庫県淡路市志筑882

樹齢:およそ800年
鷺原道の楠 画像
鷺原道の楠

幹が空洞でも雄々しく生きる

鷺原道の楠さぎはらみちのくすのき

幹の内部が空洞と化し、通常なら枯死状態になってもおかしくない樹木です。それが樹皮によって養分が運ばれているのか、葉は青々と茂り、他の樹木と変わらないように見えます。この「鷺原道の楠」の「鷺原道(さぎはらみち)」とは、飛火野方面から春日大社方面を結ぶ野道です。別名「地僧道(じそうみち)」と呼ばれ、かつて興福寺大乗院の僧が春日大社へお参りした道で、春日大社表参道の瓢箪灯籠に通じています。時代を超えて、内部が空洞と化しても生きる生命力の素晴らしさを、ぜひ、奈良、飛火野でごらんになってください。

名木伝承データベース No.64

住所:奈良県奈良市春日野町春日大社飛火野

樹高:24m 
幹周:7.3m
芝辻町の野神さん 画像
芝辻町の野神さん

かつては村人たちが集った御神木

芝辻町の野神さんしばつじちょうののがみさん

近鉄電車「大宮」駅を降りて5分ほどの所にある御神木。しかし、現地にはこの御神木を説明する解説板も何もありませんが、不思議なことにグーグルマップには「ノガミサン」と出てきます。このノガミの「野神信仰」とは、五穀豊穣を願う田んぼの神様です。「芝辻町の野神さん」もごく身近な神様なので、ここに村人たちが集ったのでしょう。木の横の駐車場に面した枝はみんな途中で切り取られています。かつてはもっと枝ぶりが大きく、すごかったんだろうと想像します。

名木伝承データベース No.65

住所:奈良県奈良市芝辻町

備考:なし
椚神社の椚の霊木 画像
椚神社の椚の霊木

弘法大師の杖が霊木に成長

椚神社の椚の霊木くぬぎじんじゃのくぬぎのれいぼく

椚神社(くぬぎじんじゃ)は椚(くぬぎ)の霊木を中心に囲いがあり、道路の半分を占拠しています。一説によると弘法大師が椚でできた杖を地面に刺したら、それが根付いて木になったと言われています。他の地域でもよく言われるのが、道をふさぐ霊木がじゃまだから切ろうとすると、作業員が亡くなったとか、木から血が出たとかで、祟りが怖くて残しているという、まことしやかに語られる都会の怪談です。でも実際は、霊木も地蔵も土地を守っているので、おいそれと移動できないというのが本来の理由でしょう。

名木伝承データベース No.66

住所:奈良県奈良市肘塚町208

備考:なし
たんだの椿 画像
たんだの椿

想像上の娘さんを椿の木になぞらえた

たんだの椿たんだのつばき

昔、平野村のお屋敷に立派な椿の木がありました。この家に病弱な娘がいるという噂もありましたが、誰も見た者はいませんでした。そんなある日、その立派な椿の木が急に弱り、屋敷の主人はその衰えように気味が悪くなって、なんと切り倒してしまったのです。村人はまるで噂のお嬢さんの様態が、同じように悪くなっていくような気がしました。それから数年後、切り株からひこばえが出て成長し、現在では「たんだの椿」と呼ばれて、美しい花を咲かせています。

名木伝承データベース No.67

住所:奈良県香芝市平野

備考:奈良の有名な昔話
三輪恵比寿神社のケヤキ 画像
三輪恵比寿神社のケヤキ

縁を結ぶ御神木

三輪恵比寿神社のケヤキみわえびすじんじゃのけやき

日本で最初に開かれた市場は、海柘榴市(つばいち)という市で、三輪山の南麓にあったようです。 清少納言の「枕草子」にも「いちはつばいち」と出てくるこの海柘榴市、926年の大和川の支流等の氾濫で、500m程北西の三輪駅付近に場所を移しました。 その時、市の守り神も一緒に移動し、現在の三輪恵比寿神社となりました。したがって、この神社は、商売の神様、えべっさん(恵比寿様)を祀っているのです。 そして、この境内にあるのが、ケヤキの木です。「願いを込めると叶う」といわれる御神木で、パワースポットになっているようです。 樹齢は600年で、幹が根元から2つに分かれているので、夫婦ケヤキとも言われてきました。 ケヤキの洞の根元にある白い「叶え石」を1つ選び、その石に祈りを込めるようにケヤキに触りながら、特に良縁や安産などのお願い事をすると、叶うと言われています。 叶った際に「叶え石」は、授与所窓口に渡すと、「叶え石」の効果が段々高まるとされています。

名木伝承データベース No.68

住所:奈良県桜井市三輪375

樹齢:600年
忍坂山口坐神社のクスノキ 画像
忍坂山口坐神社のクスノキ

土地の精神が生み出した大楠

忍坂山口坐神社のクスノキおしさかやまぐちにますじんじゃ

忍坂山口坐神社の境内にあり、入り口に近くにそびえ立つ巨木です。 この楠の大木の先代の大楠は、あの金閣寺が1397年に造営される時に、天井の一枚板として供出されたとの伝承もあります。 一枚板となると、直径8m級の大きさが必要になってしまうので真偽のほどはわかりませんが、天井板に使われたことは事実のようです。 また、忍坂山は万葉集にも出てきており、素晴らしい山容が荒れていくのが本当に惜しいことだと、約1500年も昔に、まるで現代の環境問題のような歌が詠まれています。 忍坂山(おさかやま)は、その山自体がご神体とされていますが、境内には山を拝する形はとっていないため、一説には杉樹をご神体とするのではとの伝承もあります。 もしかしたら、それら忍坂山の杉樹が荒れていく万葉の頃の人たちの心配が、その木を拝する神社という形をとったものなのかもしれません。 現在の楠は、先代ほどの大きさはありませんが、現在も親しみ愛されています。

名木伝承データベース No.69

住所:奈良県桜井市赤尾42

指定:桜井市指定文化財
大神神社の巳の神杉 画像
大神神社の巳の神杉

三輪の地に伝わる蛇伝説

大神神社の巳の神杉おおみわじんじゃのみのかみすぎ

大神神社の「大神」は「おおみわ」と読み、「みわ」は三輪のことを指します。 三輪山をご神体とした神社なのですが、奈良の三輪あたりは自然崇拝の原型が多く残っているようで、様々な伝承があります。 そのうちの1つが、蛇伝説です。 崇神天皇の御代に神意を伝える巫女であった倭迹迹日百襲姫(やまとととびももそひめ)という方がおられました。 この姫が大物主大神(おおものぬしのおおかみ)の妻となるのですが、朝の陽の光が入るころになるといつもその大神は居ないのです。 不思議に思い、「一度お顔を見せてくださいな。」と姫は大神に言うのですが、大神は拒否します。 しかし、彼女があまりに強く希望するので「では絶対に驚いてはいけませんよ」と念を押して、翌朝小物入れの中をのぞくように言います。 翌朝、云う通りに姫が小物入れを覗くと、小さな蛇の姿がありました。 驚きのあまり姫は悲鳴を上げると、蛇はたちまちに麗しい男性に姿を変えます。 彼は約束を破ったことを責め、大空を翔けて三輪山に帰ってしまいました。 この物語は、日本書紀に記されており、蛇神の信仰の古さを伝えています。 この木自体は樹齢400年余なので、「日本書紀」に書かれているこの時代とは時間的には離れています。 しかし、現在も大神神社で蛇は「巳さん」と親しみを込めて呼ばれており、この神杉の洞に住んでいたのは「白い巳(み)さん」のようです。 蛇なので卵丸飲み好きということで、この神杉の前のお供えものには卵がお供えされています。

名木伝承データベース No.70

住所:奈良県桜井市三輪1422

備考:なし
参考:大神神社HP
三宅町の農神さん 画像
三宅町の農神さん

子供たちの楽しい仲間入り

三宅町の農神さんみやけちょうののがみさん

現地の解説板に「祭りの前日に氏神にて十五歳の男子が中心となって、わらや杉葉で三メートルに及ぶ蛇を作る。翌朝早くに蛇を「野神塚」へ運び、小豆餅、神酒、山海の幸を供えて古老の祈祷を受ける。豊作を祈願し、供え物を食べる楽しい仲間入りの行事である」と書かれてあり、その解説板から30mほど細い道を行くと、御神木がそびえ「野神の塚」があります。ここで重要なのは、解説板にある子供たちの「楽しい仲間入り」でしょう。この野神祭りは、地域への子供の参加行事なのです。

名木伝承データベース No.71

住所:奈良県磯城郡三宅町石見

備考:なし
一の橋の樟樹 画像
一の橋の樟樹

空襲で受けた傷も回復

一の橋の樟樹いちのはしのくすのき

和歌山城(和歌山城公園)の北の角、高さ6mほどの石垣に覆いかぶさるように枝が地面近くまで垂れている楠です。この城内最大の樹木は「昭和20年(1945)の和歌山大空襲で損害を受けた」と解説板に書いてあります。おそらく一部が焼けてしまったのか、爆撃によって枝や幹が損傷を受けたのでしょう。一時は、このまま枯死するのではないかと心配したということですから、かなり重症だったはずです。でも今は、どこがやられたのかわからないほど、樹勢が回復しています。

名木伝承データベース No.72

住所:和歌山県和歌山市一番丁3

指定:和歌山県指定文化財、天然記念物
樹高:25m 
幹周:7m 
枝張り:35m
湯蓋の森 画像
湯蓋の森

神功皇后出産伝説ゆかりの名木

湯蓋の森ゆふたのもり

安産や子供の成長を願って多くの人が訪れる宇美八幡宮。ここには、神功皇后の出産伝説が伝わっています。神功皇后は、妊娠中でありながら、軍を率いて朝鮮半島に渡ったとのことで有名です。神のお告げに従い、自ら先頭をきって朝鮮に出兵しましたが、後に身ごもっていることが発覚したため、鎮懐石(ちんかいせき)という石をお腹に当てて、出産を遅らせたというエピソードが残されています。 そして、境内にはその伝説にまつわる大楠が2本あり、そのうちの1つが「湯蓋の森」です。名前の中に「森」という単語がついていますが、複数の木が存在しているわけではなく、この木があまりに大きく、遠くから見ると森に見えることから、名付けられました。 また、神功皇后が応神天皇を出産し、このクスの下で産湯を使った際、枝葉がその産湯の上に蓋をしているように見えたことが、「湯蓋」の由来となっているようです。 永い時を経てもなお勢いは盛んであり、生命力の象徴として鎮座し続けています。

名木伝承データベース No.73

住所:福岡県糟屋郡宇美町宇美1丁目1-1

写真提供/取材協力:萩原哲平様
衣掛の森 画像
衣掛の森

1本で森の名を冠する名木

衣掛の森きぬかけのもり

宇美八幡宮の神功皇后の出産にまつわる2本のクスのうち、社殿に向かって右側にあるのがこの名木です。生まれた応神天皇に着せる産衣を、この木の枝に掛けたという言い伝えから、「衣掛の森」と呼ばれています。神功皇后の出産のエピソードから、この土地は、「生み」から転じて「宇美」と呼ばれるようになったともいわれています。もう一方の「湯蓋の森」と同じように、全国でも数少ない、1本で森の名を冠する木です。大樟のすぐ側には応神天皇の出産で用いられた「産湯水」(うぶゆのみず)もあります。 半壊しながらも、その身に多くの着生植物を宿している本樹。たくさんの願いを受けながら、2000年もの間、この場所で人々を見守っています。

名木伝承データベース No.74

住所:福岡県糟屋郡宇美町宇美1丁目7-12

写真提供/取材協力:萩原哲平様