お礼に植えた義家のケヤキ

八幡のケヤキ

はちまんのけやき

HISTORY

謂れ(いわれ)

八幡太郎義家(源義家)のお手植えのケヤキと伝えられています。
平安時代後期、天喜3年(1055)に、義家が陸奥の豪族である安部貞任の討伐に向かった際、道があまりにも険しかったので、中倉村の司の二宮太郎兵衛宅で休憩をしました。そこで、手厚くもてなされただけでなく、太郎兵衛から大沼郡尾岐村に至る道を教えられたのです。のちに義家はそこで貞任の不意を突き、見事勝利することができました。道を教えてくれた太郎兵衛に感謝した義家は、お礼として邸宅の庭先にこのケヤキを植えたのだと伝わっています。
また、この地域は旧下野街道沿いであり、戊辰戦争で会津軍がこの周辺に潜伏して新政府軍を迎え撃った場所でもあります。その際、このケヤキに隠れていた会津藩兵士が勢いよく飛び出し、槍で敵将や敵兵を倒して新政府軍を約2キロほど敗走させた、という話が会津藩兵士の書いた維新録に残っています。

画像提供:萩原哲平様
取材協力:萩原哲平様

ACCESS

アクセス

会津鉄道「会津下郷駅」から車で約20分。