2023.08.25
頼朝杉物語3 渡と文覚(遠藤盛遠)
文覚が遠藤盛遠という北面の武士だった若かりし日の物語を 前回(『頼朝杉物語2』)から書いています。
仲間である渡辺渡という武士の妻である袈裟に一目惚れした盛遠(文覚)。彼はとうとう人妻である袈裟と一夜を共にし、翌朝、袈裟を帰さないと言い出します。袈裟も夫である渡辺渡を殺してくれたら盛遠と晴れて一緒になると言い出します。直情的な盛遠は、すぐにこの恐ろしい計画に乗るのです。
袈裟は盛遠に言います。今夜、夫に酒を飲ませてぐっすり眠らせておくと。
今回は、この続きからです。

「遠藤武者盛遠」(国芳画)
目次
一、 切った首
その日の晩、袈裟との約束の時間に南塀から渡辺邸に潜り込んだ盛遠。
指定された部屋に入ると確かにぐっすりと眠りこんでいる渡がいます。袈裟が渡の髪を洗うと言っていたことも予定どおりのようです。もとどりを解いて長い髪型のまま仰臥しているようなのです。
「えいっ!」
と一気に気合を入れ、盛遠は、その首を瞬時に切り落とします。首を切り落とされる瞬間の断末魔の叫びにより、家人たちに気づかれないかと少し心配したため、一気に首を掻き切ることに集中した盛遠。
「あれ?」
と思ったのは、断末魔の叫びがなかったことではありません。
「首が細くないか? 渡はこんな華奢な首をしているのか?」
と違和感があります。切った首を持つと、またその首は大変小さく、でかい顔の自分と、大きさがさして変わらないであろう渡のものではないような、違和感があるのです。
切った首をつかみ、邸の南の庭に飛び出す盛遠。
月明かりの中にその首を晒し、じっと見つめます。(①)
「袈裟!」
そうです。その首は袈裟だったのです。
「穴無慙や、此の女房が夫の命に代りけるこそと思ひて、首を取出して見れば女房の首なり。一目見るより倒れ伏し、音も惜しまず叫びけり」 (『源平盛衰記』より)
二、 渡の覚悟
我欲による自分の業の深さを思い知った盛遠。首を家に持ち帰り、まんじりともしないで、夜を袈裟御前の首を睨みながら明かします。
朝になって、袈裟御前の首を布に巻き、立ち上がると渡辺邸に引き返します。
「渡! 渡! おらぬか?」
「盛遠か!」
すでに渡辺邸では、袈裟が骸となっていることに騒然となっていました。
盛遠は渡の前にどかっと座ると、布から袈裟の首を取り出します。
「な、なんと!」
一瞬、開いた口が塞がらない顔をした渡でしたが、次の瞬間、腑抜けたような一気に力が抜けたような表情になります。盛遠が話さずとも、すべてを理解したのでしょう。
「すまぬ! 渡、俺を斬ってくれ! 自害したいとも思ったが、どうせ同じことなら渡の手にかかって死んだほうが良いだろう」
盛遠は渡の目の前に自分の大刀を置き、自分は打ち首にされやすいように、一歩下がった位置で平伏とも、うなだれているともつかない格好で座りました。
それをじっと見つめる渡。
半刻ほどもたったでしょうか。渡は、いきなり立ち上がると、目の前の大刀をすらりと抜き、平伏する盛遠に近づきます。盛遠は覚悟します。すべては自分のエゴなのですから。
ぶちっ!
鈍い音がしました。盛遠は片目をうっすらとあけてみます。
首は切られていないようです。顔を少し上げると、目の前に、もとどりを切り、ざんばら髪になった渡が、茫然と立っていることに気が付きます。
──先ほどの鈍い音は、渡がもとどりを切った音だったのか──
「盛遠、俺はお前が憎い。袈裟を奪ったお前が」
「………」
「という感情が、どういうわけか腹の底から湧いて来ぬ」
「どういうことか?」
「わからない。ただ今さら、お前を斬っても袈裟は返らない。かといって、自分も袈裟の後を追ったところでなんの甲斐もない。これはどうしたことであろう。と先ほどから、お前を見ながら考えていたのだ。そしてわかった。袈裟は、命がけで俺たちに教えようとしたことがあるのだ。きっと」
「………」
「袈裟は観音の生まれ変わりで、我ら二人に仏道修行の心を起こさせようとしたのだ。俺もお前も袈裟の後世を弔うことが、これから生きる道ではないか」
── それで、もとどりを切ったのか ──
盛遠は情欲に溺れ、直情的な行動をとった自分に比べ、冷静かつ高尚な渡の考え方に感心しました。そして七回も渡を拝み、自分も大刀でもとどりを切り、渡と同じざんばら髪になります。
そして出家した盛遠は文覚となったのですが、渡辺渡の方は、以後、『平家物語』からも『源平盛衰記』からも話は消えます。
ただ、一説には、渡は同時代の東大寺の中興に大きく貢献した重源になったというものがあります。もちろん重源は紀州の人だから渡辺渡の訳がないという反駁は十分に考慮した上での説です。 (相原精次著『文覚上人一代記』より)(②)
文覚は神護寺や東寺等の復興に尽力するのですが、同時代に生きた重源も、平家によって一度焼かれた東大寺の再建に尽力するのです。もし盛遠が文覚で、渡が重源だったら、変化の激しい時代の流れと深く関係しながらも、古くからの仏閣の再建を果たした二人を生み出した袈裟御前は、観音の生まれ変わりだと信じられてもおかしくないですね。

(東大寺俊乗堂 蔵)
三、 出家後の苦行
さて、この後、文覚は熊野の那智の滝での想像を絶する苦行など、まるで死にたいのではないかと思うほどに荒行をして廻ります。(③)
真冬の那智の滝で二十一日間の滝行をすると言い、周囲が止めるのも聞かずに実施します。さすがの文覚も四日目で気を失い、滝を数百メートルも落下していくのですが、奇跡的に助かり、残りの苦行も完遂させるという話は有名です。


助ける仏神たち
「文覚上人荒行之図」芳年画
『平家物語』では、このときに仏神二人が流される文覚を救ったという伝承になっています。(④)
ほんとうに死んでいてもおかしくはない苦行ですね。
文覚はその後も、袈裟への後悔を断ち切り、自らの再生を図るかのように、厳しい修行に出かけます。色々な厳しい他の修行もしていたのでしょうが、滝に打たれている自分の木造を彫るほど、滝苦行に注力したようです。
ということで、私は『平家物語』の中に出て来る文覚が修行した山々「富士・伊豆・箱根」の中の一つ、洒水の滝に行って文覚の気持ちを考えました。
洒水とは、仏教用語で「清浄を念じるための香水」ということだそうです。この滝は古くから相模国第一の滝とされ、『新編相模国風土記稿』では「蛇水の滝」と記されています。
清々しい新緑の中、私はこの滝をじっと見ていると、何やら滝の水が、髪がさらさらと流れ落ちるように見えます。
するとハッと思いつきました。(⑥)
─ そうか。文覚は滝に袈裟を見ていたのだな ─
たった一晩の契りだったとはいえ、文覚はその袈裟の長くてさらさらした髪の感覚を、何とも言えない満ち足りた気持ちで感じていたと思うのです。まさか翌日には、その髪の下の首を切り落とすことなぞ想像もしないで。切り落としたときも、その長い髪を意識したはずです。

滝に至る山々の道の行脚は、袈裟への想いを清浄するのに必要なプロセスです。道すがら何度も何度も袈裟のことを考えたでしょう。どうして自分が殺すことになったのか、自問自答を続けるのです。そして、歩く先にパッと滝が開けると、それらの何度も同じことを繰り返す思考は全てストップし、文覚は思わずつぶやくのです。
「袈裟、また会えたね」
そんな修行の甲斐があったからでしょうか。文覚は出家してから三年経つと、袈裟が蓮の花に座っている夢を見るのです。これに喜んだ文覚。はじめて彼の涙が頬を伝わるのでした。
それから、彼は苦行をしながら、全国の密教寺を十年以上かけて廻ります。
そして苦行から京に戻った彼が建て直しを図った寺院が、前回お話しした神護寺なのです。
名木伝承データベース / 基本情報

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名称:頼朝杉跡
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樹種:スギ
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状態:倒木
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樹齢:推定800年以上(倒木前)
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樹高:36m(倒木前)
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幹周り:9.7m(倒木前)
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保護・指定:国指定天然記念物(倒木前)
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所在地: 静岡県島田市千葉254
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