2023.12.05
霧降の松(大阪市天王寺区)~真田勢から徳川家康を霧で隠した!?不思議な松の伝承
徳川家康のピンチを救った!?「霧が降る松」。
かつて半島だったという大阪・上町台地。また茶臼山の池は、古い大和川や、大阪にあった大きな湖・河内湖の水を排水するための水路だったといわれています。これらを考えると天王寺のあたりは、大坂夏の陣の頃に霧が多く発生してもおかしくないかもしれません。
この茶臼山近くにある「霧降(きりふり)の松」には、大坂夏の陣にまつわる伝承があります。
敗色が濃い豊臣軍。勇将・真田幸村は「ぬぬ、もはやこれまでか!!」と天を仰いで決心し、真田十勇士ら決死隊を組みます。そして、「狙うは家康の首一つ!」と、寡兵ながら、徳川家康本陣に猛烈な勢いで突っ込んでいくのです。その突撃のあまりの凄まじさに、徳川家康の本陣は大混乱しました。
馬印(※1)「厭離穢土欣求浄土」(※2)を倒され、踏みにじられ、逃げまどう家康は、「ワシの馬印が倒されたのは三方ヶ原の武田信玄以来2回目じゃ!真田幸村も元は武田勢。ワシは武田勢に一生追いかけ廻され、屈辱を受けねばならぬのか」と言い、2回も死を覚悟したと言われます。
そんな家康の2度目のピンチ。大きな松の下で四囲の近習が次々と真田の忍者(十勇士)に殺され、馬上で慌てふためく家康。そこに「家康見つけたり!!」と幸村が槍を小脇に構え、馬上、赤備えの甲冑姿で家康目掛けて突っ込んできます。
するとどうしたことでしょうか。家康の横の松から大量の霧が降りてきて、あっという間に家康の姿をかき消してしまったのです。
そして数秒後、幸村が松の下に着いた時には、すでに家康の姿はそこに見当たりませんでした。
実はこの「霧降りの松」の伝承が発生する前日にも、天王寺あたりには濃霧が発生し、道に迷った勇将・真田幸村は、名将・後藤又兵衛の救出に遅れ、彼を戦死させてしまうという出来事がありました。
昨日は濃霧のせいで、大きな戦友を失い、今日は最後のチャンスをやはり異常な霧で失った幸村。彼は近くの安居神社で力尽き、家康の兵に発見され、「この首を手柄にせよ」という言葉を残して討ち取られました。
真田十勇士という忍者集団の伝承もあることから、家康も伊賀忍者を束ねる服部半蔵一味が松の上で細工をしたのかもしれません…。真実の全ては、それこそ霧中ですね。いずれにせよ、幸村にとって最期の2日間、霧が大敵だったことに間違いありません。
家康を隠し、霧を降らせたこの「霧降の松」は、今も根元の幹部分だけが一心寺に残っています。
(※1)馬印(うまじるし)とは、戦国時代の戦場において、武将が己の所在を明示するため馬側や本陣で長柄の先に付けた印。馬標、馬験とも書く。
(※2)※厭離穢土欣求浄土(おんりえどごんぐじょうど)。浄土宗の教えで、穢れた世を離れ極楽浄土に往生する(生まれ変わる)ことを心から願い求めるという意味。
名木への道MAP
大阪府大阪市天王寺区逢阪2-8-69
地下鉄堺筋線「恵比寿駅」より徒歩約10分
JR,地下鉄御堂筋線「新今宮駅」「天王寺駅」より徒歩15分
名木伝承データベース / 基本情報
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名称:霧降の松
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樹種:マツ
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状態:根元部分のみ現存
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樹齢:不明
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樹高:不明
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幹周り:不明
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保護・指定:無
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所在地:大阪市天王寺区逢阪2-8-69
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