2023.08.24
頼朝杉物語2 袈裟と文覚(遠藤盛遠)
神護寺の再興に支援をもらおうとして、強引に後白河法皇に迫った文覚(もんがく)は、かえって法皇の不興を買い、伊豆に流されてしまう話を 前回(『頼朝杉物語1』書きました。
伊豆に流された文覚が、先に流されていた頼朝と懇意になる話をする前に、少々時間を遡り、文覚の背景からお話をしていきたいと思います。 (①)
目次
一 渡辺等の荒武者
文覚は、最初からお坊さんだったわけではありません。彼は遠藤盛遠(えんどう もりとお)という名の北面の武士(上皇または法皇を警護する武士)だったのです。
遠藤一族は、渡辺党という、現在の大阪は渡辺橋の辺りから渡辺津(わたなべのつ)(八軒家浜)に起居していた武士団に所属します。(②③)
この辺りは物流が盛んであり、当時は大阪湾から淀川系を遡り、この渡辺津辺りで荷を下ろしていたようです。水運を上手く使った物流の拠点だったのです。渡辺党は、これらの水運を握っていたので、平時は農民をしていた武士団等よりも比較的裕福だったように思われます。
また渡辺党は、四天王寺ともゆかりが深いことがいろいろな史料から伺えます。
これは、後の楠木正成(くすのき まさしげ)と似ています。楠木正成は、ちょうどこの渡辺橋あたりで鎌倉幕府軍を、得意のゲリラ戦で撃退するのですが、正成もまた四天王寺と関係が深く、さらに水運により力を付けてきた豪族でした。秀吉が今の大阪という都市の基礎を造るまでは、水運を制し、四天王寺と関係を持つ武士が、当時の難波では力を持っていたのかもしれませんね。
遠藤盛遠こと文覚も、出家せずに武者のままだったら、渡辺党の中において、楠木正成並に活躍した智将になったかもしれません。それはそれでこの鎌倉時代の パイオニアとして、この後の文覚とは別の形で有名になったかもしれませんね。
ことに盛遠は当時、力が強い荒武者だったことで有名だったようです。ではなぜ、荒武者だった彼が僧になったのでしょうか。
有名な伝説が『平家物語』や『源平盛衰記』に残っています。歌舞伎は言うに及ばず、芥川龍之介も『袈裟(けさ)と盛遠』という短編小説で取り上げていますし、昭和二十八年(一九五三)公開の「地獄門」という映画で、カンヌ国際映画祭グランプリ、アカデミー賞名誉賞と衣裳デザイン賞を受賞するほどの話になっています。(④)
芥川龍之介の『袈裟と盛遠』は、以下の物語を把握されてから読まれることをお薦めします。というのは、『袈裟と盛遠』に登場する袈裟、盛遠の心理描写が凄まじく素晴らしい作品なのですが、出来事を知らないと、その文章の伏線になっているところまで読み取るのが難しいのです。
では物語をはじめましょう。
二 盛遠の一目惚れ
そのきっかけは、この渡辺橋の落成式でした。
このとき、盛遠は警備のために駆り出されていました。娯楽の少ない当時は橋の落成式というと、たくさんの人たちが見物に出かけたのです。
その人ごみの中で、ひと際目を引く美しい女性がおりました。盛遠は一目惚れをしてしまいます。盛遠がこっそりと後をつけて行くと、彼女は盛遠が幼き頃より、よく知っている渡辺渡(わたなべのわたる)という渡辺党の邸宅に入っていきます。(⑤)
盛遠も現代なら立派なストーカーですね。
盛遠は渡辺邸の門番に、今の女性が誰なのかを聞くと、なんと盛遠の叔母、衣川(ころもがわ)の娘、袈裟ということがわかりました。
盛遠は実は以前、袈裟が十四歳のときに、あまりに美しいと感じたので、叔母に掛け合って「自分の嫁にください!」と迫ったことがあるのです。ただ当時、袈裟の美しさは世間でも有名で、渡辺渡も含め、渡辺党の幾人もの男たちが盛遠と同じように言い寄っていたのです。
――くそ! 叔母め! 袈裟を俺の嫁にはせずに渡に嫁がせるとは! ――
と悔しがる盛遠。しかし、彼の「思い込んだら命がけ」の性格は、朝昼晩、朝昼晩と袈裟のことを想い続け、気がつくと百日を超えていました。
盛遠、とうとう我慢しきれず、衣川のところに押しかけ、刀を抜いてこの叔母に襲いかかるのです。
焦った叔母の衣川、
「盛遠殿、どうされたのか。どうしてこのババを殺そうとするのか」
と衣川は盛遠に聞きます。
「おババ、俺はこの百日間、袈裟のことを想わない時はなく、時間が経てば経つほど、自分が虚しくなるのだ。どう考えても袈裟とは一緒になれなかったという事実だけが、どんどんと重くのしかかり、気も狂わんばかりになってきた。この際、嫁にくれなかったババを殺して、自分も死ぬ!」
とかなり自分勝手な理屈で襲いかかってきたのです。
「盛遠殿、お待ちくだされ! 今晩、ここに袈裟を呼び出しますでの」
「わかった。今晩、袈裟と逢えるのだな」
にわかに笑顔になる盛遠。彼は「また夜に来る」と言って立ち去ります。
一時しのぎとはいえ、大変な約束をしてしまったと後悔する衣川。
三 袈裟と盛遠の密約
衣川は逡巡(しゅんじゅん)しますが、袈裟宛ての手紙を書きます。そして使用人に書いたばかりの文を持たせ、三町(三百メートル程度)離れた渡辺邸の袈裟のもとへ届けるよう言いつかわします。
使用人から母、衣川からの文を受け取った袈裟。何事! と思い、文を開いて読み始めます。
「袈裟や、母は体調を崩して困っておる。至急、来ておくれ」
――あれ? 昨日まで元気だった母が、一体どうしたというのだろう――
と不思議に思う袈裟です。ただ、この文からは、なにやら切羽詰まった雰囲気が漂ってくるのです。とにかく、母のところに行った袈裟。衣川は泣きながら、盛遠の話をし、
「すべては、この母が悪いのじゃ。そなたはこの母を殺して渡辺邸に帰りなさい」
と錯乱状態。そんな母を一人置いて帰っては、逆上した盛遠が、また母を殺そうとするのはわかっています。帰るに帰れません。
そうこうするうちに夜となり、盛遠が現れます。盛遠は母、衣川が居るのも目に入らないのか、その場で袈裟を手籠めにしてしまうのです。
さて、翌朝になると盛遠は、袈裟を渡辺邸へ帰さないと言い出します。
すると袈裟、やはり一晩体を任せたからでしょうか、急に次のように言い出します。
「夫、渡を殺してください。そうすれば晴れてあなたと一緒になります」
盛遠は張り切ります。一晩で袈裟は俺に傾倒したのだと。みなぎる自信と夢にまで見た袈裟と一緒になれる未来を想像しながら、彼は袈裟と夫殺しの話を続けます。
「どうやって奴を殺すか」
「今晩、渡の髪を洗い、お酒を飲ませて、ぐっすり眠らせます。部屋は南塀から入った正面です。忍び入って討ってください」
盛遠は袈裟の顔を見ます。彼女の眼はどこか虚ろで、盛遠の顔を見ていませんでした。
名木伝承データベース / 基本情報
-
名称:
-
樹種:スギ
-
状態:倒木
-
樹齢:推定800年以上(倒木前)
-
樹高:36m(倒木前)
-
幹周り:9.7m(倒木前)
-
保護・指定:国指定天然記念物(倒木前)
-
所在地:静岡県島田市千葉254
詳しくはこちら
TAG
最新記事