2023.08.24

木のコト

頼朝杉物語1 文覚と千葉山智満寺

玉木 造
玉木 造

「頼朝杉」。高さ36メートル、幹の周りは9.7メートルという堂々たる杉の樹で、推定樹齢800年の国指定天然記念物でした。(①)

①頼朝杉(8年前)

目次

一、 頼朝杉

 この大杉は、静岡県島田市のお寺にあります。関係者と島田駅で待ち合わせ、車で北に向かうこと30分。車一台分の幅しかない林道のような道が続きます。対向車とのすれ違いなどに苦労しながら、山奥のお寺に到着しました。お寺の名前は「千葉山 智満寺」。(②)今どき珍しい、総茅葺屋根のお寺です。(③)

②千葉山 智満寺入口
③智満寺本堂

 このお寺の「千葉山」は、あの千葉県の「千葉」なのです。静岡県にありながら、なぜ千葉なのでしょうか。「頼朝」「千葉」とくれば、

──おっ、頼朝挙兵時の石橋山合戦で負けた後、房総半島へ渡ったときに、千葉常胤を頼りにしたというあの「千葉」か ──。

 と思われる方もいらっしゃるでしょう。そこまでイメージを膨らませながら読まれた方は、素晴らしい歴史通ですね。 残念ながら頼朝杉は、今から九年前の平成24年(2012)9月2日、空洞化した根本から倒れてしまいました。(④)

④空洞部分から倒れた頼朝杉の残幹

 ご住職(⑤)のお話によると、嵐の夜中に轟音とともに倒れたそうです。もちろん、樹齢八百年以上の老木だったため20年前からその懸念を予測していたのだそうですが。

 このとき、不幸中の幸いだったことがあります。元々、頼朝杉は薬師堂の上に覆い被さる姿に迫力を感じる人が多かったようで、倒れると県指定文化財の薬師堂が破壊されてしまうと、皆心配していたのです。(⑥)

 ところがこのとき、なぜか奇跡的に薬師堂を外れて倒れ、お堂は無事だったということでした。(⑦)この頼朝杉ですが、なぜ頼朝の名前がついているのでしょうか。それは怪僧・文覚という人物が深く関係しているようです。

 その経緯をこのシリーズで書いていきたいと思います。

⑤千葉山 智満寺
北川教裕住職
⑥薬師堂の上に覆いかぶさる
頼朝杉(8年前)
⑦現在の頼朝杉と薬師堂
(写真右上に頼朝杉の残幹)

二、 文覚の流罪

 頼朝が伊豆に流されているとき、平清盛に殺された頼朝の父・義朝の髑髏を首から下げ、平家打倒を進めた怪僧・文覚をご存知の方も多いと思います。平家物語や源平盛衰記にも度々登場する頼朝の戦略ブレーンとなった僧です。

 また、文覚を知らない人でも江の島の弁財天や、岩屋に行かれた方は多いのではないでしょうか。今でこそ有名な観光スポットとなった江の島ですが、そこに弁才天(後に弁財天、弁天と言われる)を勧請し、当時頼朝が最大の敵対勢力と考えていた奥州藤原氏の調伏をはかったのは、この文覚なのです。(⑧、⑨)

 さて、平治の乱の後、頼朝が伊豆の蛭ヶ小島に流され八年経った仁安三年(一一六八)頃の話からします。このとき、二十一歳の頼朝は、まだ文覚のことなど知る由もありません。文覚はこのとき、まだ京に居ます。京の山奥にある、空海が密教の寺として建立した神護寺が荒廃しているのを嘆き、この寺の再興を目指すのです。(写真⑩)

⑧江の島の岩屋で秀衡を調伏願する文覚「六様性国芳自慢 先
文覚上人」(国芳画)
⑨江の島の岩屋
⑩紅葉が綺麗な京都・神護寺

 文覚は、なかなかのプロデュース力を持った人物らしく、廃寺寸前だったこの寺の草堂、納涼殿、護摩堂、庵室等を建設することに成功します。

 これだけの堂宇を、私力で建てるために、「人、モノ、金」に超人的な努力を払った文覚が、それだけで満足するはずがありません。彼は神護寺を空海が建立した当時の規模までに復興しようとします。

 そこで、彼は当時の最高権力者、後白河法皇に支援を仰ごうと考えます。考えることがダイナミックですが、さすがは怪僧、やり方が強引でした。

 ある日、文覚は後白河院の御所へ推参し、今この場で一千石の荘園を寄進してほしいと願い出ます。しかし願いが聞き届けられないとわかると、開き直って法皇に対して罵詈雑言。

 駆け付けた北面の武士(法皇を守る自衛隊のようなもの)が文覚をぶちのめし、ひっくくって、当時の警察組織のような検非違使に引き渡すという事件を起こします。

そして伊豆に流罪……。

 伊豆へ流されるルートは、当時の複数の書物が海路を使ったと書いています。ちなみに平家物語では、このとき文覚は暴風雨に遭い、竜神を叱咤してこれを鎮める話を書いていますが、他の書物等では、季節が台風シーズンであり、遠州灘(静岡県沖)あたりで暴風雨に遭ったことを記述しています。(⑪)

 なのでこれは想像ですが、遠州灘で台風にあった文覚の船は御前崎あたりに退避、ここから陸路で流刑地である伊豆を目指します。

⑪文覚の流刑地(伊豆)までの経路

三、 智満寺

 たまたま上陸した先に、密教の空海、最澄とも交流のあった名僧・廣智が開いた智満寺がありました。大きな密教寺ですので、文覚はここ智満寺に立ち寄ったようです。(⑫)

 当時の智満寺は、あの有名な行基の作とされる等身大の千手観音を光仁天皇より賜り、七堂伽藍の甍をならべて国中第一の伽藍となるほどの勢いがあったようです。貴賤の上下なく多くの人々が諸願の成就を祈り、参詣していました。(⑬)
 文覚もこの寺を見て神護寺再興の想いを強くされたことは想像に難くありません。

⑫島田市から智満寺(千葉山)を臨む。
手前は大井川
⑬智満寺の千手観音像(行基作)

四、 流刑地・伊豆

 さて、智満寺に立ち寄った後、陸路で流刑地である伊豆に到着した文覚。先にここに流されている頼朝と懇意になります。

 ここからが、文覚の本領発揮。時代の仕掛人となっていくきっかけとなるのです。ここに来る直前に智満寺に参詣したことが、見ようによっては、この後の時代を動かし、ひいては文覚の大願が成就するきっかけになったと考えられませんか?

 だとするとやはり智満寺は大願成就のお寺なのですね。

(『頼朝杉物語2』へつづく)

名木伝承データベース / 基本情報

  • 名称:頼朝杉跡

  • 樹種:スギ

  • 状態:倒木

  • 樹齢:推定800年以上(倒木前)

  • 樹高:36m(倒木前)

  • 幹周り:9.7m(倒木前)

  • 保護・指定:国指定天然記念物(倒木前)

  • 所在地: 静岡県島田市千葉254

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玉木 造
玉木 造

歴史ブロガー。著書に北条氏康の娘たち(Kindle)ほか。

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