2023.08.25

木のコト

楠(楠木)正行公墓所に立つ2本の楠にまつわるストーリー

銘木総研 編集部
銘木総研 編集部
小楠公墓所の拝殿

目次

楠(楠木)正行公墓所に立つ2本の楠伝説

戦国武将・楠(楠木)正成公の息子、「楠(楠木)正行(まさつら)公」の墓所が大阪府四條畷市にあります。ここには、樹齢500年以上にもなる大きなクスノキが大切に管理されています。

JR四条畷駅から西へ徒歩7分、到着すると参道大の両側から大きな松の木が出迎えてくれます。松の木を越えると、神聖な空気感に変わります。直進すると参拝所が設けられ、左奥には「巨大な龍」がうねるような壮大なクスノキが現れます。

境内はクスノキを囲うように玉垣(石の囲い)で結界が作られ、独特で神聖な場所になっています。

巨大な龍がうねるように見える大クス

ここは、南北朝時代、正行公を実質的総大将とする南朝方と、足利尊氏の家臣、高師直を総大将とする北朝方が戦った「四條畷の戦い」で討死した正行公の供養の為に建てられた墓所です。

正行公の死から約80年が経った頃、供養塔の両脇に2本の楠が植えられました。この2本の楠が供養塔を包み込む様に成長したのが今の姿で、両側から供養塔を包み込んでいる様は、あたかも正行公の精神が楠に宿っているが如く見えます。今も成長し続けているクスノキの生命力が供養塔の石が割れている姿からよく分かります。

中央の供養塔が割れるほど成長し続けている大クス

大久保利通による大規模な墓所整備

当初墓所は約143㎡(43坪)しかなく、明治7年から8年にかけて2度の拡張整備が行われ現在は約3484㎡(1054坪)の境内に拡張されました。江戸時代の「河内名所図会」によると、元々墓所の参道は北側にありましたが、明治時代、大久保利通が東の飯盛山に向かって田のあいだを通したまっすぐな道=「畷」の先に、正行公を祀る四條畷神社を創建しました。飯盛山の石切り場から巨大な石碑を1年半の歳月をかけて人力で運び出し、墓所に巨大な穴を掘り頑丈な基礎を作りその上に「贈従三位楠正行朝臣之墓」と大久保利通が揮毫(直筆の書)した墓石が残っています。

この墓所をきっかけに四條畷神社が設立され、「四條畷市」の名前の由来となった「一丁目一番地」の大切な場所とも言えます。

一年半の歳月をかけて山から切り出された巨大石碑
江戸時代の小楠公墓所、北側に続く旧参道

楠(楠木)正行公が愛される理由

なぜそこまで楠(楠木)正行公が愛されていたかといえば、正行公の精神に秘密がありました。

正行公が「四條畷の戦い」で討死する一年前、大阪府天満橋で山名時氏との戦いに勝利した際、渡辺橋から川に落ちた500名の敵兵の命を救い、薬と衣服を与えて京都に返したという伝承が残っています。冬の寒い時期の戦いにおいて、正行公がおこなった決断は翌年の「四條畷の戦い」で正行公の御恩に報いたいという兵がおり討死した兵が少なくなかったと言われています。

救敵伝説が残る大阪の渡辺橋にある石碑

この救敵伝説は、明治初期に日本赤十字社の創始者である佐野常民氏が国際赤十字社へ日本支部設立の申請をしたときに大いに貢献し、正行公の精神は日本赤十字社の広報活動や教育の教材として幅広く知られるようになりました。正行公の人徳がなければ、現在の日本赤十字社はなかったかもしれません。他にも、岩倉具視、三条実美、経団連の歴代会長なども関係が深く歴史的にも重要な場所とされています。

このような人徳のある正行公を祀った神社が「四條畷神社」です。

正行公を祀る四條畷神社

全国からの熱い支持が集まった四條畷神社

小楠公御墓所を背にして四條畷商店街を真っ直ぐ進み、急な階段を上がると左手に社殿が見えてきます。1889年に社殿が完成し翌年の1890年4月5日に神社が創建され、神社創建の為に現在の価値で約2億円を超える寄付が全国から集まりました。

神社が鎮座されたことで参拝者が増えたことで鉄道建設が計画されました。1893年に浪速鉄道株式会社が設立され、翌年1894年10月5日の四條畷神社秋祭に合わせて「片町~四條畷間」の起工式が四條畷駅予定地内で行われました。そして1895年8月22日に開業し区間を38分で結び一日10往復運航されていました。

同駅間は関西の国電区間で初めて電化され、1979年には、片町駅-長尾駅間の各駅に関西の国鉄線で初めて自動改札機が設置されるほど需要が多い鉄道でした。

楠木正行公の功績から神社や鉄道の開業まで行い全国から人を惹きつける魅力がある場所となっています。

小楠公墓所から続く四條畷神社までの参道

現在も生き続ける正行公の想い

近年では2021年に正行公を描いた物語が宝塚歌劇団で「桜嵐記」として公演されました。

トップスターとトップ娘役の退団公演となり多くの反響がありました。

正行公の道徳心と人の為に行動する姿が描かれており、恋をし戦いに赴く正行公の姿やそこに生きた人々の儚さと切なさを描かれた素敵な作品となりました。

当時、多くの宝塚歌劇団のファンの方々が聖地巡礼の場所として小楠公墓所を訪れ、今も生き続ける楠の生命力に感激した方も多いのではないでしょうか。

四條畷市の「市の木」は正行公のクスノキに指定され、作曲家のキダタロー氏が作曲した市歌「いまここに」にはクスノキの歌詞があり、正行公の大クスは市民にとっても大切な名木になっています。「くすのきの 木もれ陽あびて 遊ぶ子ら 人の和 胸に育んで 住みよいまちを築きゆく 心ふれあう四條畷」

また四條畷を歩いていると足元にも大クスに出会うことができます。

どこにいても正行公を思い出せる四條畷市のマンホール

同市のマンホールは大クスと市の花「サツキ」がデザインされたインパクトのあるマンホールです。楠木正行公とクスノキをシンボルとして活性化していった四條畷市。日本の歴史的にも、人としての心のあり方を再認識されてくれるような、素敵な魅力が溢れるまちです。

みなさんも四條畷市の名木をきっかけに、心のゆたかさを感じてみてはいかがでしょうか。

名木伝承データベース / 基本情報

  • 名称:楠(楠木)正行墓のくす

  • 樹種:クスノキ

  • 状態:生存

  • 樹齢:推定600年以上

  • 樹高:不明

  • 幹周り:12m以上

  • 保護・指定:大阪府指定天然記念物

  • 所在地:大阪府四條畷市雁屋南町

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この記事を書いた人

銘木総研 編集部
銘木総研 編集部

地域の人々によって大切に守られ語り継がれてきた「名木と伝承」にフォーカス。伝承とともに人々の生き方に寄り添ってきた名木が持つ史実やいわれを調査研究し、伝統文化・歴史の継承、名木の利活用につながるご提案とその実践を行っています。

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