2023.08.25
【樹木医】樹木を守る、木のお医者さん (有)エコネットむねざね・宗實久義さん
自然の理にかなった最新技法で樹木を護る「木のお医者さん」
元セラミック加工技術エンジニアという、ユニークな経歴を持ち、天然記念物から思い出の庭木まで、日本中を飛び回って樹木の命を守り続ける樹木医・宗實久義さん。そのお仕事について伺いました。
57歳で樹木医になったきっかけとは?
宗實さんが樹木を護る活動を始めて今年で20周年になるそうだ。地元福崎町の電機会社を退職する53歳までの3年間は準備のため、サラリーマンと2足のわらじで中島樹木医の元で修行。のち、2007年に57歳で樹木医に登録。近隣の山沿いの高速道路から見えるたくさんの枯れた松の木を何とか助けたいと「松枯れ予防ネットワーク」を結成した。元のキャリアを生かしてマツの枝に電気を流し、害虫を感電させる手法をメーカーと共同開発、全国に広めた。
扱う樹種や治療法を広げ、本格的な活動を開始。その頃、ナラ枯れ被害が深刻で、宗實さんは京都御苑(京都市)や応聖寺(福崎町)、諭鶴羽神社(南あわじ市)などの歴史ある樹林へ駆け付け、薬剤による治療や防虫ネットの設置など、様々な対策を講じたという。
宗實さんが今、最も警戒するのは、地元兵庫県や大阪府、徳島県でサクラやモモなどに大きな損害が出ている「クビアカツヤカミキリ」の被害。その幼虫は数年間幹の中に住み着き、樹皮下を食い荒らす。宗實さんは関西を中心に全国を駆け回り、予防と防除の大切さを訴えている。
木の価値は人の思い入れが決める
宗實さんの心に、ひときわ深く刻まれている樹木との出会いは、2009年10月。「95歳の父が生きている間、庭のマツを枯らさないでほしい」。という岡山県美作市の夫婦からの依頼だった。すぐに駆け付けたものの、そのマツは枯死寸前。宗實さんは手段を尽くし、マツは異例の延命をとげた。同年大晦日、お父さんが亡くなった際、愛したマツの枝をひつぎに入れたそうだ。
2年後、この夫婦との縁はさらに続く。「福島県大熊町に嫁いだ娘(当時37歳)と孫娘(当時7歳)が東日本大震災の津波にのまれ、行方不明になっている。何とか彼女たちが見つかるまではマツを生かして欲しい」との依頼だった。しかし、その時点でマツはすでに瀕死の状態。宗實さんは、生き残っている枝から松ぼっくりを採取し、そこから数個の種を取り出して発芽を試みた。その種は新しい2本の命を芽吹き、成長した苗が夫婦の家へ里帰りした2016年、最後まで見つからなかった孫娘が見つかったという。
家族のマツから命を継いだ2本の苗木は今、美作の家と福島の母子の自宅跡でそれぞれすくすくと成長している。
有限会社エコネットむねざね 宗實久義さん
姫路市夢前町出身。
有限会社エコネット・むねざね代表取締役。
2007年樹木医資格取得。
業務は、樹木診断・治療業務/講演・研修指導。
「樹木医JYUKU校」で後進の教育にも取り組んでいる。
有限会社エコネット・むねざね
【住所】〒671-2131 兵庫県姫路市夢前町戸倉281-1
【URL】https://mune-eco.net/
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