2023.08.25
日本人と木
日本の豊かな自然の中心にあるのは森林です。日本では、生活必需品から建築物、芸術にいたるまで樹木が重要な役割を担ってきました。また、日本人には樹木に霊性を感じる民族性があります。「日本人と木」の深い関わりに、もういちどきちんと目を向けてみること。それは、これから先の日本人の生き方を考えるヒントにもなっていくことでしょう。
目次
広葉樹から針葉樹まで 植生の多様性は世界一
日本は国土の約3分の2が森林です。国土に占める森林面積の割合を森林率と呼びますが、日本の森林率はフィンランド、スウェーデンにつぐ世界第3位。しかも、北欧の森林がほとんど針葉樹で占められているのに対して、日本の森林は多種多彩なのが大きな特徴です。
森林の植生は、気候、地形、高度などさまざまな要素の影響によって成り立っています。日本列島は南北に細長く、亜寒帯から冷温帯、暖温帯、亜熱帯までの気候帯があるだけでなく、海に囲まれているため湿潤多雨でもあります。さらに山が多く地形が急峻であり変化に富んでいます。そのため、日本には4種類の樹種のすべてが生育しているのです。ブナ、ケヤキ、ウメ、カキ、クリなどの落葉広葉樹、クスノキ、タブノキ、シラカシなどの常緑広葉樹、カラマツ、イチョウなどの落葉針葉樹、ヒノキ、スギ、コウヤマキなどの常緑針葉樹…。品種にして1000種を超える樹木がそれぞれの環境に適応しながら生育しており、なんと地球上に存在する樹木の約30パーセントが日本で見られるというデータもあります。
このような植生の多様性は世界でも飛び抜けており、まさに日本は「木の国」と言っていいでしょう。恵まれた森林植生のおかげで、日本人は独特な木の生活と文化を生み出してきたのです。
木に精霊が宿るという日本人の信仰
日本人にとって身近なものだった木は、精神的な存在でもありました。日本人の祖先は、この世の中には「産霊神」がいて、この神が土地や山川草木に霊魂を与えると信じていたようです。日本の神々は樹木を依代として降臨するとも考えられていたため、特定の木を信仰対象とすることも多く、巨木を祖霊神として崇めたり、奈良県桜井市の大神神社の御神体が三輪山であるように、山自体を神格化することもありました。このように特定の木を信仰する傾向は日本の古代に顕著です。『和名類聚抄』にも「木霊」「木魂」という語が出てきますが、木には精霊や霊魂が宿っているという意味なのです。
樹木に対する畏敬の念は、神を「一柱」「二柱」と数えることにもよく表れています。柱は巨木と同じく神の依代であるという意味が込められているのです。とくに伊勢神宮には、柱の神秘性が強く表れています。神殿の中心には心御柱という重要な柱が立てられ、20年に一度の式年遷宮で古い社殿がすべて解体されても、この柱だけは覆屋で守られ次回の遷宮まで引き継がれます。また、出雲大社の創建神話にも太い柱が出てきますし、諏訪大社では「御柱祭」が行われるなど、いずれも巨木信仰との関係が深く、人びとが木に込めた強い精神性を読み取ることができます。
適材を使い分けて作られた巨大木造建築
日本人は、有史以前から木の材質についてかなりの知識を持ち、適材を適所に使い分けていたと考えられています。
縄文時代の遺跡である福井県の鳥浜貝塚遺跡からはトチノキやケヤキの鉢や椀、アカガシの弓、スギの丸木船などが出土。また、青森県の三内丸山遺跡には、クリの巨木で建てられた巨大建築物の柱の根が残っています。直径2メートルの柱穴6個は、等間隔で正確に配置され、穴の大きさから推測される柱の高さは約20メートルにも達します。このように巨大な木造建築物をつくる技術を、当時の日本人がすでに持っていたことにも驚かされます。
木造建築の弱点は劣化が早いことですが、その弱点を補うために考え出されたのが定期的に修理を繰り返すこと。それにより技術が受け継がれ、木造建築はますます発展しました。
神社の場合は前述のように式年遷宮を行うことで一定期間ごとに建物を立て替え、かたちを後世に伝えてきたことがよく知られています。
現存する世界最古の木造建築物として知られる法隆寺金堂や、唐招提寺金堂、薬師寺東塔など古い時代の建築物には、骨組み材から扉までヒノキを使いました。ヒノキは木材の中で最高レベルの耐久性と保存性を持ち、伐採後よりもむしろ100年、200年後により強度を増し、1000年間はそれほど劣化しないといわれます。しかも、法隆寺金堂の柱の径は約60センチ。現在の一般的な木造建築の柱の径が約10センチですから、その太さは圧倒的です。また、そのような太い木材が入手できたということに、当時の日本の森林の豊かさが表れています。
二つと同じものはない木という素材の神秘性
日本の古典美術に目を移すと、彫刻も90パーセント以上が木材で作られています。飛鳥時代から平安時代までの仏像660体の材質を調査した小原二郎氏は、飛鳥時代の木彫仏はほぼクスノキだということを明らかにしました。たとえば、中宮寺の弥勒菩薩半跏思惟像や、法隆寺の百済観音像はクスノキで作られているといいます。小原氏は平安時代以降はヒノキの木彫仏が多くなったと結論しましたが、カヤという説もあるようです。いずれにしても、文化財として伝わる彫刻のほとんどが木彫というのは世界に類がなく、日本の彫刻史は木彫の歴史とも言えます。
その理由として、木材が入手しやすかったことはもちろんですが、木という生物由来の素材が人々の創作意欲をかき立ててきたということも言えるのではないでしょうか。人の顔貌が一人一人異なるように、木もまた同じものは二つと存在しません。そのことは素材として不安定である反面、面白みや神秘性という点で芸術家を限りなく刺激してきたのではないかと思います。
[参考文献]
中嶋尚志『木が創った国』(八坂書房)
海野聡『森と木と建築の日本史』(岩波書店)
小原二郎『木の文化』(鹿島出版会)
村田健一『伝統木造建築を読み解く』(学芸出版社)
鈴木三男『日本人と木の文化』(八坂書房)
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