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2024.02.16

特集

「エンジュ」なのに「エノキ」?榎木大明神への信仰やいわれを深堀り!

銘木総研 編集部
銘木総研 編集部

目次

「エンジュ」なのに何故か「エノキ」と呼ばれる霊木。そのワケを考察!

御堂筋からゆるやかな坂道を上がると見えてくる「榎木大明神」
地元の人々には、「エノキさん」「巳さん」とも呼ばれ、親しまれています。

「エノキ」という文字が入っていますが、実際の樹種は槐(エンジュ)の木です。なぜ「エンジュ」ではなく「エノキ」と名付けられたかについては、残念ながら由来の詳細は残っていないようでした。

しかし、この地域周辺の「エノキ」という視点で調べると、興味深い記述があります。
例えば、大阪を代表する博学者の生田南水氏の発表では、「いくたまさん」で知られる生国魂神社のエノキの木を中心に、南北数か所から古株を掘り出すことができた、と記述されています。現在、生国魂神社のエノキは枯死していますが、神社自体は谷町九丁目にあり、熊野街道に近い場所にあります。また、難波の古道を研究していた竹山真次氏も、かつての熊野街道にある一里塚にはエノキを植える風習があり、街道沿いには路傍樹のエノキが並列していたと推定できる部分があると示唆しています。

実際に、上本町西には「榎大神」があり、こちらの大神には木が植わっておらずお社だけとなっていますが、こちらも熊野街道の道沿いにあります。つまり、当時の熊野街道付近にはたくさんのエノキが植わっており、あちらこちらにその形跡が残っていた可能性は高く、その名残から「エノキ」と名付けられたのかもしれません。

※出典:国土地理院
ウェブサイトをもとに銘木総研㈱が作成

「榎木大明神」は熊野詣の目印だった?地図から読み解くその役割

熊野は「伊勢に七度(ななたび)、熊野へ三度(さんど)」といわれるほど、熱い信仰を受けていた場所です。熊野詣が盛んだったのは、平安時代中期から鎌倉時代にかけてだと伝えられています。
その後、一旦は亀山上皇の御幸をもって終結しますが、江戸時代に紀州藩主の徳川頼宣が熊野三山の復興に力を入れると、再び熊野詣は最盛期を迎えることになりました。

現在、榎木大明神の周辺には大きな建物があるため、進行方向から全体を確認するのは難しいですが【写真2】【写真3】、1936年~1942年に撮影された上空写真を見てみると、木の周辺に高い建物はなく見通しが良い場所だったことがわかります【写真4】。

言い伝えの通り、目印としての役割を担ったというのもうなずける存在感だったのでしょう。

【写真2】現在は高い建物の間にある榎木大明神

「大楠公」楠木正成のお手植え?直木賞作家との逸話も残る

榎木大明神は、楠木正成のお手植えとも伝えられています。
正成は、大阪を代表する歴史上の人物の一人。鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて活躍した武将です。後醍醐天皇に忠義を尽くした武将として知られており、大阪の人々には「大楠公」と呼ばれ昔から愛されてきました。

また、直木賞で有名な直木三十五の生家がこの近くにあり、「小学生の三十五がじゃんけんをしながら階段を上って遊んでいた」という言い伝えも残されているようです。
現在、大明神の石段下花壇には三十五の文学碑が残されており、すぐ近くには直木三十五記念館もあります。

信仰の対象としての「エノキさん」。蛇にちなんだご利益と不思議な言い伝え

榎木大明神のもう1つの通称「巳さん」は、祀られている「白蛇大明神」に由来しています。
地元の人達の間では、土地神として祠をたて代々この木を守ってきました。ご利益は、蛇にちなんだ「商売繁盛」の他、「家内安全」「悩みごとの緩和と解消」「除災招福」「学業精励・人間形成」と様々です。

昭和20年(1945)の大阪大空襲で大明神から東側一帯は戦火を免れたことから、火災防止にも効果があるといわれています。また、疾病の痛みの和らげるとも信じられており、地元の人々は大明神の葉を枕元に敷いて寝て痛みを吸い取ってもらい、黒くぼろぼろになった葉は大明神の根にまいているそうです。

その他、道路都市計画で幾度も伐採を試みられましたが、伐採した者は不慮の事故を生じたので断念した、という不思議な言い伝えも残されています。

枯死寸前に陥るも、名木まもりびと「箔美会」の献身的な治療を経て今に至る

昭和に入った頃、この地を見守ってきた榎木大明神は枯死寸前の状態にまで陥ったため、大阪市と榎木大明神を管理している「箔美会」が樹木医の山野忠彦氏に治療を依頼します。その後、治療のかいがあり、榎木大明神は枯死を免れ青々とした葉を茂らすほどになりました。

現在の榎木大明神(撮影:2021年7月)

何百年という時間が経過すると、どうしても伐採や倒木などで姿を消してしまうこともありますが、現代まで残っている木にはたくさんの人の想いに支えられていることが多いです。
かつて、この周辺にあった大木たちが切り倒されていったそうですが、それでも榎木大明神が現在まで生き続けてきたのは、、地域の人々に愛され大切にされた証なのでしょうね。

地域の名木「榎木大明神」をまもり後世へ紡ぐ有志団体「箔美会」とは
記事を読む

箔美会のみなさん

名木伝承データベース / 基本情報

  • 名称:榎木大明神

  • 樹種:エンジュ

  • 状態:生存

  • 樹齢:推定600年以上

  • 樹高:不明

  • 幹周り:不明

  • 保護・指定:無

  • 所在地:大阪府大阪市中央区安堂寺町2-3

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この記事を書いた人

銘木総研 編集部
銘木総研 編集部

地域の人々によって大切に守られ語り継がれてきた「名木と伝承」にフォーカス。伝承とともに人々の生き方に寄り添ってきた名木が持つ史実やいわれを調査研究し、伝統文化・歴史の継承、名木の利活用につながるご提案とその実践を行っています。

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